当たり前だけど当たり前じゃない出来事

今日珍しく家族4人で丸亀製麺に行きました。

しかも、行く1時間前に決まった話。

いつもなら前日もしくは行く半日前くらいに話が振られます。

それで、いつものようにご飯食べてコロナのこともあるので自分は周囲の目が気になってましたが、家族はみんな楽しそうに話をしてます。

こんな光景結構恥ずかしいと思う自分としては早く終わって欲しい。と思うのがほとんどでした。

でも裏では2年後に親が離婚するかもしれない。という事が脳裏を反復横とびで邪魔してきました。

家に帰っていつもの外食後の感じのあと、両親はヨドバシへ。

自分たち「きょうだい」は、家で待機してました。

自分はPCでゲームのブログの記事書きをしたりしていたら、両親が帰ってきました。ケーキを買ってきたので食べよう。とのことでした。

ケーキは4つ。シュークリームは2つ。

ケーキは1人1個。シュークリームは、、、という感じで、だれがどれにするか「じゃんけん」することに。

ただのじゃんけんでした。でもめちゃくちゃ盛り上がりました。シュークリームもじゃんけんすることになりそれもまた盛り上がりました。

2年後離婚する家庭に見えないくらい幸せに満ちてました。

幸せって人それぞれですけど、本当の「幸せ」って当たり前にある今の現状やちょっと笑ったちょっとのことが幸せなんじゃないか。って自分は思います。

もちろん幸せの定義なんてありません。

いじめられてる人だっていじめられることで自分の存在認識されている。という事が幸せになりえます。し、異性と遊んだり別れたりして色んな人と交流できている。というのも幸せになると思います。

よくあの人はいじめられてるから不幸だ。とか、あの人は御飯食べる量少ないから可哀想だ。って他人の感情で、他人の幸せの定義から外れている体と思うんです。

親が離婚の危機だから。家庭としては今ある家庭、今まで築き上げた家庭が崩壊の危機。かもしれませんが、今の小さな幸せを今どれだけ集めそれを一つの大きな幸せ/思い出として扱えるか。が大事なところなんじゃないかなって思います。

話は少しずれますが、「推しが推しじゃなくなる」のっていつなのかわかりません。それも近い気がします。

大事な人、大事なものが「人/もの」という定義から外れるのっていつかわからなくて。

「推しは推せるときにたくさん推しておけ!」「言えるときにちっさなことでも『ありがとう』って言っとけ!」

自分の格言です。

どんなことでも良い。あの時言っとけばよかった。応援しておけばよかった。という後悔を減らす。理想は無くす。事ができたら最高だなって。

多分20代から30代の間に自分はたくさんのものを失い、得ると思ってます。

失うとわかっているものには常に「ありがとう」の気持ちは忘れず、得るんじゃないかと思うことには歓迎する気持ちを忘れずに生きる努力をしてます。