10月22日「学校ストライキ」へのメンバーの意気込み

 10月22日、FFF Japan 気候正義プロジェクトでは「気候危機・人権侵害を進めるJICA・住友商事に抗議する全国一斉学校ストライキ」を開催します。メンバーのひとりが「学校ストライキ」への意気込みを文章にしました。ぜひお読みください!

10月22日「学校ストライキ」へのメンバーの意気込み

 1ヶ月半前に「マイノリティから考える気候正義プロジェクト」に加わったばかりの者として、この運動にどんな意義を感じ、なぜ今この場にいるのかについて、お話しします。この話をここでお伝えするのには理由があります。それは、バングラデシュで人権侵害と気候危機を進めるJICAと住友商事に対して、グローバルサウスであるバングラデシュの人々と「連帯」して闘う、グローバルノースの日本社会の若者や学生を一人でも多く増やすために、今日の記者会見があり、これからの私たちの学校ストライキがあるからです。真剣に国際貢献について考え、先進国の人間としてできることを必死に探しながらも、今の自分に何ができるのかを根本的に考える想像力を奪われ、同世代の人々と連帯して行動する場を見つけられないでいる若者たちが、日本中にいるはずです。そんな若者たちに、あなたが「今」取り組めることがある、もっと強く言えば、グローバスサウスへの加害国である日本の若者が取り組まなければいけないことがここにあると、私の話を通して伝えたいと思っています。

 私は高校1年生のとき、国連やJICAに入って国際協力に携わりたいという夢を抱いていました。特に、JICAが派遣する青年海外協力隊への関心がとても高かったので、ちょうど今頃の季節に、JICAの支部を訪問して、青年海外協力隊の説明会に意気揚々と参加していました。その説明会では、JICAの職員の方に「青年海外協力隊に参加できる年齢になったらぜひ入ってね。待っているよ」と、温かく声をかけられたのを覚えています。
 それから7年経つ今年、来週10月22日に私は、JICAに入る夢を持った若者としてではなく、グ ローバスサウスへの加害行為と闘う者として、JICAの前に戻ってきます。ここに至るまで私が辿った道のりを、お伝えしていきます。

 高校時代が終わりに近づいた頃も、国連やJICAで働きたいという夢には変わりがありませんでした。私はこの夢を叶えるために、開発政策を学べる大学への進学を選びました。この学部時代においても、私は周りの多くの学生と共に、想像力と知を奪われた当事者という立場にあり続けました。貧困や格差といった問題の解決に大きな熱意を持って学生時代を過ごしたあと、私の知る限りほとんどの学生にとっては、次の2つの選択肢しか残されませんでした。ひとつは、途上国のスラムにフィールドワークに行くなどして「現地のひどい実態を知り、勉強になりました」という経験をしたところで止まり、仕方なく国際協力とは直接関係のない一般企業に就職する道。もう一方は、私が夢見ていたように、国連やJICAなどでのポストを手に入れ、支配的立場で国際協力に携わるためのキャリアを選ぶ道です。

 私はというと、国際開発を学ぶ日々を過ごしながら、徹底的に違和感を抱き、葛藤していました。まず疑問を抱かざるを得なかったのは、環境負荷をかえりみない形で経済成長を進めてきた先進国と同じやり方で、途上国の開発も実現しようとする姿勢でした。当時抱いたこの問題意識を、今の私が言葉で表現するならば、グローバルサウスからの資源やエネルギーの収奪に基づいた先進国のライフスタイルである「帝国主義的生活様式」を問う必要があるという、問題の根底に気づいたのだと言えるでしょう。

 気候変動をはじめとした環境問題が喫緊の課題になっている状況に危機感を抱いた私は、先進国の環境負荷を最大限減らしながら、プラネタリーバウンダリーの範囲内で途上国の人々の生活を発展させる道を探る必要があると考えました。ここで私の大きな方向転換が始まりました。環境問題を解決するための研究に取り組める大学院への進学を志すと共に、環境保護と経済成長の両立を考えるために、環境経済学を専攻分野に選びました。ところが、ここにおいても、私の「問い直し」は十分なものではありませんでした。自分がもっていた「知」の狭さや支配的視点に気づき、この社会が抱える問題の構造を真に問うため知を取り戻す必要性を実感し始めたのは、「気候正義プロジェクト」に入った、今からほんの1ヶ月程度前のことでした。

 まず私の問い直しが足りなかったと言えるのは、経済成長が本質的特徴として環境やグローバルサウスを抑圧する側面を持っている点です。経済成長を追求し続けるならば、いくら環境汚染を減らすための政策を実施したとしても、結局は排出量の増加をはじめとした環境破壊につながるような、大量生産・大量消費を否定しないことが前提となります。環境保護と経済成長を両立させようとするシステムにおいては、グローバルサウスへの矛盾の押し付けや労働者の抑圧といった、根本的な不平等や格差を断ち切ることはできないのです。

 もう一つ、私の想像力が奪われていたと言えるのは、無意識的に政治主義に陥っていた点です。この時の私の目標は、専ら環境政策の研究者になることでした。「自分は一生懸命環境政策を研究して、政府に政策提言すればいいんだ。環境保護のための政策を実現してくれる政治家が現れてくれれば、社会が変わっていく。」そう考えていたのでした。裏を返せば、「私の代わりに社会を動かしてくれる人が現れなければ、その人が政治の場で影響力を持てないならば、私はどれだけ政策を研究し提言しても無力な存在なんだ」と思っていたということです。社会変革の下支えとなる市民運動の重要性が度々頭をかすめることはあっても、そこに踏み込むには、私は想像力を奪われずぎていました。

 気候正義プロジェクトの存在を知った私は、抑圧を伴ういわゆる「国際貢献」に加担する支配的立場にも、政治主義に陥りながら環境政策の研究に取り組む立場にもないもの、つまり、徹底的に抑圧に抗議する運動という選択肢を見つけました。私たちには、現状を知り、投票する以上の力があるのだと知りました。

 気候正義プロジェクトが進める運動の重要な意義は、単に日本国内で脱炭素を実現するためではなく、グローバスノースとグローバルサウスの関係性を問い、変えていくための運動だということです。これまでの気候変動運動では、グローバルサウスへの加害行為が無視されていると言っても過言ではありません。ここに取り組まない気候変動運動はありえません。

 私は、いわゆる「国際貢献」が加害を伴うものだと知らず、学校で学んだとおりにその素晴らしさを信じていた若者でした。しかし今は、学校教育ではなく運動の力によって、想像力を取り戻し、真に知るべきことへの理解を深めています。そして、JICAが日本企業と共に進める、れっきとした環境破壊と人権侵害を断じて許さない立場で運動に関わっています。

 私たちに続く若者の力を、私たちはひとりでも多く、切実に必要としています。グローバルサウスにおける不正義の断絶は、たった数人の私たちの運動だけでは実現できません。加害国である日本において、若者がこの運動をもっともっと大きくしなければ、日本政府も日本企業も、ひるむことなく加害を続けます。国連やJICAなどで働かなくても、専門家のように細かく難しい政策議論ができなくても、若者は社会を変えるための影響力を行使できる重要な主体です。あなたの連帯を必要とするこの運動に加わってください。

FFF Japan「気候正義プロジェクト」について

 2021年4月に、Fridays For Future Japanは「マイノリティから考える気候正義プロジェクト」を発足しました。
 私たちは、最大の汚染者である企業や富裕層の責任を追及し、気候危機の影響を最も受ける人々と共に気候正義の実現をめざす運動です。気候危機やコロナ危機、格差の拡大、差別の激化など、資本主義の限界がリアリティを増すなか、今とは全く違う未来を実現するための行動が必要です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?