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なにもない世界

バイトの前に少し早めのお昼ご飯を食べていた。

10時過ぎから15時までというかなり微妙な時間のシフト。

朝ごはんを早く食べすぎるとお腹が空くし、かと言って終わったあと食べると夜ご飯に近くなりすぎる。

お腹が空くとイライラして余裕がなくなりバイト所の騒ぎではなくなる私にとって、ごはんの時間は最重要事項である。

よってこの微妙なシフトの日はいつも朝ごはんを抜きブランチという名のお弁当を食べている。

来てすぐ食べるのならば食べてきた方が楽なのにという意見もあると思う笑

実際私もそう思ったりするのだが、最近バイト先の近くにお気に入りのお弁当スポットを発見したのでそこで食べるのが楽しみなのだ。

もうかれこれ通い始めて3年目になるこの大学。
未だに知らない場所だらけ。

お気に入りのお弁当スポットは本部キャンパスの中にあり、バイト先から徒歩20秒くらいなのでギリギリまでゆっくりしていられる。

文学部のキャンパスと違い様々な学部の棟がひしめくここはいつも人が多く落ち着ける場所は無いと思っていた。

しかし演劇博物館という名の少しオシャレな建物と、かの有名な作家のライブラリーに挟まれて
少し階段をおりたところにスポットはある。

桜の木を真ん中に囲むようにベンチが並べられていて木の下に緑と花が植えられている。

階段の上の喧騒から少し隔離された自然を感じられる静かな空間。

今日もここで持ってきたお味噌汁とお弁当を食べていた。

すると上から子どもたちの声がしてきた。

「おねえさんごはんたべてるから、あんまり
  走らないで遊ぼうね〜
  何人いるかな。 番号どうぞ。」

「 いち! に! さん! し! ご!、、、、」

幼稚園の子どもたちだった。
どうやらお散歩のついでにここで遊ぶらしい。
ニコニコしながら降りてきた。

もちろん思いっきり走り回って遊んで欲しいので

「ばいばーい」

と手を振りながら私は場所を譲った。

少し離れたベンチに座りごはんの続きを食べる。

子どもたちの声が聞こえる。
笑い声、叫び声、泣き声…

私にはベンチと草花以外遊べる物はないように見えた。

その同じ場所で泣いたり笑ったりの波乱万丈ドラマが起こっている笑

何もない空間から遊びを生み出し、人生の全てが凝縮されているかのような感情を抱ける子どもたち…恐るべし。

何もない空間という言葉

後に受けた授業でも出てきた。

カナダ北部の田舎町に暮らす駅長が主人公の物語を読んでいるのだが、そこには先住民であるエスキモーが出てくる。

物語に出てくるエスキモーの女性は銀行に行くことができない、というか銀行というシステムを理解していない。
よって主人公にお金を銀行に持っていって両替してくるよう頼むシーンがある。

この描写を受けての受講生がコメントとして
「銀行や貨幣のシステムを知らない子どものよう
 な存在だと思った。」
というものが紹介されていた。

教授はこのコメントに対し

「もし今東京の銀行、電気、電車、全てのシステ
 ムがダウンしたら生きていけるのはどんな人
 だろうね。
 システムに慣れている私たちはそのシステムが
 なくなったら何もできない。
 火の起こし方、そこらにいる鳥を捕まえて
 食べる方法知ってるか?

 何もない場所で生きられる力
 それを知っている先住民と知らない私たち
 どっちが子どもだろうね。」

そしてこの子どもたちは何もない場所から遊びを
生み出せるという強さを持っている。

現在能登に出向き子どものための遊び場を作るというボランティアをしている人がいる。

その方とzoomを繋いだ際に、初めは地震があったすぐ後に子どもの遊び場なんて作って不謹慎だ、意味がないという大人からの反対意見もあったという。

しかし実際に始めてみると沈んだ空気の中で子どもたちの楽しそうな笑い声が響く。

その笑い声に大人たちも元気をもらい助けられているという声が聞こえてくるとおっしゃっていた。

大人になったから、文明化しているから、
見える世界が広くなり進んでいる
なんてことはない。

私たち一人一人の見ている世界が
その人にとってのただ1つだけの
特別な世界であり
そこには優劣も大小もない。

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