ひとり みんな どっちの自分も受け入れる
電車に揺られながら怒涛の2日間を振り返り全身で自分を受け入れる。
とんでもない日だった。
個展が終わった月曜日の夜。
疲れすぎて日頃食べないお菓子を爆食いした挙句
病み期に突入して深夜まで寝られず。
次の日の火曜日は午前中からバイト。
起きたら時間ギリギリ,
お腹の調子が悪くスープだけ簡単に作ってバイトへ。
10:30-15:00という授業前のすごく微妙な時間のシフトをこなし授業へ。
授業が終わってからデンマーク留学をしていた時の知り合い4人と会う予定があったのでそのまま向かう。
知り合いの1人が高円寺に住んでおり、そこの家でデンマークにいた頃みんなで
一緒にやっていた「カタン」というボードゲームをやりたいと集まった。
カタン、日本での知名度がどのくらいあるのかは分からないのだが…。
1回4-6人で遊ぶことができ、ボードの中で自分の領土を広げていくというもの。
だいたい1ゲーム90分くらいかかるので話しながらダラダラとやるのにちょうどいいのだ。
高円寺に集まり4人でごはんへ。
普段はパンなどの小麦粉類はそんなに食べたくならないのでグルテンフリー
お酒も全く飲まないのだが、誰かと一緒にいて、
食べたくなった時はどんなものでも楽しんで選び、食べる。
昨日はベーカリーかつ居酒屋的なお店に行ったため久しぶりにパンを食べ、お酒を飲んだ。
とっても美味しかったしみんなで食べるのはやっぱりいい。
3時間くらい話し、既に9時をすぎていた。
そこからカタンをやりにお家へ。
おうちに着いてからもデンマークの学校で一緒だった世界各国に散らばっている友達と電話を繋げていたらあっという間に時間がすぎてしまった。
その後もう1人合流し、日付が変わる1時間前からカタンを始める。
単純に考えてそこから1ゲーム2時間弱かかるため
始めた瞬間に終電には間に合わないことが発覚した。
2時間プレイしてからひとりが
「ペヤング食べたい」
とのこと。
歩いて近くのコンビニへ。
どうせならペヤング、一平ちゃん、UFOの食べ比べをしようという話になった。
私は雪見だいふくを買った。
カップラーメンを食べるのは数億年ぶり笑
前食べたのはいつだっただろう。
家に戻りお湯を沸かしみんなで食べる。
やっぱりどんなものでもみんなで食べると
美味しくなる。
1人の時はカップラーメンどころかコンビニ食さえ
食べていると虚しくなってくるのに。
その後雪見だいふくも綺麗に平らげ、ダラダラ話して結局始発で帰った。
4時過ぎの世界は既に明るい。
暑すぎず湿気もそんなになくカラッと綺麗な空だった。
乗り換えでみんなと別れた後にどっと眠くなった。
お腹も最高潮に張っているし体が重い。
家に帰ってシャワーを浴びた。
10:40から授業、午後は2時間留学生向けの授業でボランティア、その後2時間再び授業だったことを忘れていた。
少し仮眠を取ろうと寝始めて起きたら既に10時だった。
体が重い、まぶたがトロトロと落ちてくる。
結局次に起きたのが12時でボランティアをしている授業の先生に欠席の連絡を入れた。
起き上がってお粥を作りながら洗濯をした。
味噌汁を作りながら部屋を片付け、個展で頂いたお花をいけなおし水を変えた。
親戚が送ってくれた荷物も開けた。
張ったお腹に味噌汁が染みていく。
授業には行ってないしボランティアは欠席するし
普通に考えて不真面目かつ責任感のない学生
とりわけ罪悪感すら感じていないとは。
自分の体と暮らしを整えてからでなければほかのことは手につかない。
何より心が追いつかず常にイライラしてしまう。
そんな状態で授業は受けられないし、きっと受けたとしても寝てしまうか
他の作業をすることになる。
それならいっそのこと授業は受けずあとから資料と他の人の感想を読み込んだ方がいい。
自分の足元がふらついていて、まずは自分にエネルギーチャージしたいのに、人のためを考えて、奉仕するエネルギーは今の私には無い。
したがって今の状態でボランティアなんぞできないという私なりの正論の元で生み出された決断である。
この自分の論理と所謂社会というところでまかり通っている論理は全く合わないのだが…。
自分の論理は超自己中心的で周りの人のことが考えられていないからと言われれば反論はできない。
ということで夜の授業だけ行くことにした。
この授業の中でも自分の準備不足が露呈する。
周りの学生は高い壁に見える。
しっかりしていて、なんでもできて、色んなことをある程度柔軟にこなすことが出来る。
私は無理だ。
その時その状態で自分にとっての最善策で生きてしまうところがある。
周りに迷惑ばかりかけてしまう。
自己中極まりない。
しかしオールナイトでカタンやってくだらないこと話してカップラーメン食べる、そんな楽しい夜を私は今後忘れることはないだろう。
そしてひとりの時は自分の体の欲望にバカ正直に寄り添い、体の声を聴くことが最優先事項になるということがこれでわかった。
きっと私は過労死することはないだろう。
その一方で誰かといる時は自分の限界や嗜好を飛び越えて
一緒に楽しむ、体もそれについてくるということがわかった。
それだけでも大きな収穫。
自分に甘すぎるような気もするけど全身で自分を受け止め抱きしめる。
昨日安売りしていたバジルを添えたリゾット片手に持つ私を乗せた電車は
今日もまた大学へ向かう。