隣人愛
1週間の中でおそらく最もストレスフルな金曜日。
理由はやっぱり満員電車
避けているのに避けられない。
今日も各駅停車に乗ったのに時間の都合で結局満員。
いつも二限に授業がある時は9時過ぎに乗れるから空いているけど。
一限の時は8時前に乗らねばなのでどう頑張っても混んでいる電車に当たってしまう。
大学の始まる時間と仕事、学校の始まる時間がそれぞれズレればこんなに辛い思いしなくてもいいのに…と思ってしまう。
私の左横にたっている女性、私の右横はドア付近なのでもうおしくらまんじゅう状態。
左横の女性のさらに左は少しスペースが空いていてもう少し詰めてくれればおしくらまんじゅうの中のひとりがきっとこちら側にズレてこられる。
そうは思いつつなかなかズレてくれない。
かと言ってズレてください…とは言えない。
右側から圧がかかり私は女性の方へ押され肩が2度ほどぶつかってしまった。
そこで驚きと悲しみが私を襲う。
女性は自分の肩で私をぼんっと右側へ押し返した。
2回当たってしまったのだが2度とも。
そして自分がたっている足をさらに私側へグイグイと広げてくるではないか。
私は右側のおしくらまんじゅうからも押されどちらからも押される状態。
この人押してくる…それはかなり驚きでそれと同時にとても悲しく涙が出そうになった。
お前どっか行けと拒絶されているような気がした。
ただ隣にいる人だけど、拒絶されると辛い。
もしその人が私が当たってしまった時に押し返さずただ受け入れてくれたらこんなに辛くなかっただろう。
顔もしっかり見たことがなく話したこともない人で、さえそうなのだから少なくとも私は常に人から受け入れられたい、愛されたいと思っているのだろう。
自分で自分を愛することはできる。
でも人が私を愛してくれるか、愛してくれないかまではコントロールができない。
もしできるならばその方法を教えて欲しい。
できることは自分は受け入れる、愛すること。
私は隣の人を押し返さない。
隣人愛、聖書にも書かれているけれどこういうことを言うのかもしれない。
そんなことを考える朝。
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