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深夜の夜食と授業の遅刻

今朝は3時に突然目が覚めた。

目が覚めて、自分が非常にお腹がすいていることに気づいた。

夜ご飯、そんなに少なくなかったのにな。
と思いながら何を食べたいか自分の体に聞いてみた。

どうやら、豆腐が食べたいらしい。

その後ネットで深夜に食べると良い食べ物を検索してみた。
すると大豆製品と温かいものと出てきたため
「おお。体ってすごい。」と驚く。


豆乳を温めて、胡麻味噌を入れスープにした。
その後少し温めた豆腐に醤油をかけて食べた。
大豆攻め笑

少しするとお腹の空きがおさまった。

でも全然眠くならないので、本を読むことにした。

よく寝る前に本を読んでいるから外は真っ暗な状態がデフォルト。

今日は外がだんだんと明るくなっていくので変な感じがした。


昔は深夜にお腹が空くと、何か食べると太るしなんだか罪悪感があって食べてしまった

自分を責めたり焦ったりしていた。

朝起きられないのではと不安に感じたりもした。

あ、起きちゃったな。
お腹すいたな。
と自分の状態を焦らず受け入れられるようになっただけでもかなり成長したような気がする。

そこから寝られなくてもとりあえず本でも読むかと切替ができるようになったのも。


知らぬ間に寝ていて、気がつくと7時を過ぎていた。
今日は1限があるので8時50分には授業が始まる。

普段1限がある日は6時過ぎくらいには起きて準備を始めているから1時間くらい寝坊だ。

しかしこれも、良いのか悪いのか全く焦らずこの状況を受け入れる。

まあ、間に合わなくてもいいかと。

最近授業への捉え方も大きく変わった。
授業にギリギリ間に合わせるために焦って準備して満員電車に乗るよりも
普通に自分のルーティーンをこなして、満員電車を避けて、
少し遅刻して授業にいく方を選ぶようになった。

昔は授業に遅れてはならないという使命感とギリギリになると焦る自分がいた。

しかし少し考えてみると元々授業は自分の学びのためにあるものである。

そしてその授業にでるか出ないかは私の判断であり、もし仮に出なかったとしてもその決断をしたのは自分である。

とりわけ誰に迷惑をかけるわけでもない。

自分のルーティーンを崩してまで焦っていって
ボロボロの精神状況で受けるよりも、いつもと同じようにして行って少し初めは聞きそびれるかもしれないけれどその後をしっかり受けられた方がいいかなと思うようになった。


結局10分遅刻して授業へ。


この1限の授業、非常に好きだ。
与えられた課題の小説を読み、各授業で発表者になっている人が数名個人の見解を述べていくという形式。

今日の課題はサリンジャーのBananafish。

これまで様々な学部の授業に出てきたけれど、この授業の雰囲気に謎に文学部味を感じる。

まず第一に14回の授業のうち4回の欠席まで認められているのだが、みんな思いっきり休む笑

だから毎回の授業で初めましての人がいる。

個人としての発表は2回しかないし、平常点は評価の15%だけなので、実質他の人の発表の際は来なくても単位はでるから余計にこない人が多いのだと思う。

むしろきている回数のほうが少ない人も多々いる。

そして第二に開始時間の8時50分に間に合って来ている人の方が後からくる人よりも少ない笑

よってこの授業に今日以外遅れずに時間通りに
出席している私のような生徒は本当は30人くらいいる履修者の中で3、4人程度なのである。

他の学部の授業では欠席する人はそんなにいない。

むしろ授業にきてはいるけれど先生の話を聞きながらパソコンで他の課題をしている人が大勢いる。

しかしこの授業はみんなで円になって
Face to Faceで座るため、別の課題をする人は少ない。

発表を聞いた後も個人で述べたい人が意見を述べるのだが、
毎回本当にこの人は小説が好きなんだなあという人は楽しそうに意見を述べる。

とりわけ出席者が固定化していないため意見を述べる人が固定化することはない。

私はこの自由で、自分のために授業を受けている人、楽しんで受けている人の比率が多いため
この授業が好きなのだと思う。


深夜の夜食と授業の遅刻。

どちらも幼い頃の私にとっては大きな自分を責める案件だった。

しかし今はよくも悪くもそうではなくなり、
ただその状況を受け入れその時の自分の最善策を探して実行している。

自分を責めることはしない。

夜食も遅刻も確かに一般的に見たらよくないことかもしれない。

しかし私が生きているのは私の生活、人生であって、その行為自体が他の人に迷惑をかけるものではないのなら良い、悪いなんてそもそも存在しないしこうするべき、しないべきというべきもないのでは、と感じる。


社会からみた良い悪いに自分を当てはめ
自分を責めて、こうあるべきだと思っていたけれど、

最近自分にとって良いか、悪いかで行動することができている。

むしろ判断すらせずに、自分の体に
「どうしたい?」と問い掛けている気がする。

判断とべきに縛られなことによりとても楽になった。

自分を責めず、自分に優しくなれている。

社会により構築された価値観がいかに自分の中に根強く存在しているかを認識するとともに

どちらかといえば自分を軸にすることほうが生きていく上で自然だったりするのかなとも思った。

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