再見はさよならでなく。

【1998年3月14日(晴)中国:モンフン】

今日は 景洪の近郊の村モンフンに明日のサンデーマーケットを見に行くために移動だ。近隣から色とりどりの少数民族が集まると聞く。わくわく。

いままで触れずにいたが、ここ一週間ほど私は中国に留学している広島美人女子大生のOさんと一緒に旅していた。

ふっふっふ、これが歌舞伎町のデークラだったら、ン十万円のコースに値するだろう。(実際は他の旅行者とも一緒に移動して一緒にご飯食べたりしてただけだけど)
とりあえず他の旅行者を出し抜いて私がまんまと2人で一泊二日の「うきうきサンデーマーケットツアー」に誘い出したわけだ。むしろ中国語ままならない私が心配されていたふしはなきにしもあらず。まあいい。何事も諦めたらそこで試合終了だ。

Oさんは明後日には留学先の安徽省に戻るらしい。

「おっ!奇遇ですね!私もこれから安徽省に観光に行こうと思ってたとこなんすよ!いいっすよね安徽省!え?ラオス?ラオスなんて行くわけないじゃないですか?VISA?あーあれはラオスのスタンプが欲しかったんで、別に行くつもりはないんですよ。」

という展開が許されるくらいOさんは美人であった。旅がここで終わってもいい!4月にバンコクで再会だって?ハン!12月でバラナシで「ダメ人間友の会の集会」?ふん!聞こえねーなぁ。

男は基本的に勘違いの生き物である。

しかも私は基本的に「勘違い選手権東南アジア代表」なくらいその病巣は深い。まぁ、おいおい私の勘違い話も触れてゆこう。ここいらから「嫁探しの旅」に移行していったかと思われ。で、安徽省って何があったっけ?

モンフン行きのミニバスに11:00に乗ってから、それとなくOさんの彼氏っぽい話になったけど、ミニバスの窓からみえる景色があまりにも綺麗だったのでOさんのそんな話を相談を聞いているふりをしつつ、そんな浮ついた話はメコン川に聞き流した。

まぁ、まだお互い理解するための時間はある。

そんな感じで景洪を出発して1時間ほど走った山道。一台のミニバスとすれ違う。

どんっ! バーンッ!

私たちはドライバーのすぐ後ろの席に座っていた。だから私はその瞬間を見た。すれ違ったミニバスの窓から人民が、事もあろうか対向車側に呑み終わったビール瓶を捨てた瞬間を。

私たちのミニバスのフロントガラスに当たり、一瞬の間をおいてフロントガラス全面に蜘蛛の巣状のヒビが入り割れてドライバーもろとも私達に破片が降り注いできた。だから言ってんじゃーん(怒)!人民ども!窓からゴミ捨てんなって!危ないって!

しかし私がとっさに、Oさんの前に自分の体をかぶせ破片が彼女に降り注ぐのを防いだのは特筆するべきだろう。

あー、なんて素敵な俺。

いやバスはどうすんだろ?まだモンフンの村まで1時間はあるんですけど。と思うが早いかミニバスのドライバーはUターンしてさっきのミニバスを猛然と追っかけ始めた。フロントガラスが無いため、ビュンビュンと風が吹き込んできて寒いってば!

結局、景洪まで戻ってきたものの、さっきのミニバスは見つからず、新しいミニバスを手配して15:00にようやくモンフンの村に到着した。

この村に宿泊できるところは「銀園旅社」というところひとつだけ(10元)。

感じの良い宿のおばちゃんに「有没有?双人房?(ツインルーム有りますか?)」と尋ねると、

「あるわよ。そういえば今日もう1人、日本人がやって来て泊まってるよ。」と言う。へー。

と言うが早いか、「あれー?遅かったですねぇ。どうしたんですか?」と、フロントに降りてきた日本人の子は景洪で同じ宿だったRさん(女性)だった。

そーそー聞いてよ!でも話したら少し長くなるから、先にウチらは部屋に荷物おいてくるね。

「じゃあここでまってますね。」

と部屋に荷物を持っていこうとした私を、宿の感じのよいおばちゃんが呼び止めた。

「今、部屋を2つ使っている。」

 そだね、ウチらと、Rさんでしょ?

「ひとつは女性一人で、ひとつは女性と男性だ。」

 まぁチェックインは別々だったしね、Rさんとは。

「出来れば一部屋を貴方で、もう一部屋を女性2人に変更してくれないか?」

 は?

、、、そういえば中国は原則、結婚していない男女は同じ部屋に泊まってはいけない事に法律で決まっている。紳士の私は快くその提案に乗る事にした。本当なら私から今、そう言おうとしたところだった。

まったく気が利く感じの良いおばちゃんだ。

村はほんとにのどかで気持ちいいだ。近所の子供達と鬼ごっこをしたり、写真を見せてもらったり、お互いに言葉を教えあったり、絵を描いてあげたりした。久々にOさん、Rさんそっちのけで走り回って日が暮れるまで遊んでたので、食事をみんなで済ませると若い2人を残して、おじさんは早々に部屋に戻り独りぐっすりと眠りに落ちた。

【1998年3月15日(晴)中国:モンフン】

早朝からトラクターの音がうるさくて目が覚めた。近隣の村々からトラクターに乗ってみんなサンデーマーケットに集まりだした。7:30頃、OさんとRさんに声をかけて通りにでる。さぁ「つまみ食い&買い物大会」の始まりなのだ!

Rさんは集まってきた少数民族を珍しい蝶々でも撮るようにバシャバシャとカメラに収めている。私はつまみ食い部隊だ。早朝から、ラーメン、ちまき、焼き鳥、、、と止まらぬ。

Oさんはさすが中国留学生の力を発揮!「好不好?!(OK?)」ってな感じで目当ての品物をバンバンと値引きして買ってゆく。かわいーなー「嫁にくれー!」なんてね。私が欲しそうにしていた竹で編んだお弁当箱(タイ、ラオスでは、カオニャオ入れかな蓋付きのヤツ)も、サクッと半値で2個も買ってしまった。いやいや凄いわね、、、と、あっけにとられて見ていた私にOさんは、竹で編んだお弁当箱を1個渡してくれた。

 あっ!ありがとー!これ欲しかったんだよね。はいお金。

「ううん。はい、これプレゼント。」

 ?

「明日でお別れだし、この一週間すごく楽しかったから記念に、、、そしてまだこれから続く旅のお守りがわりに。」

ただ私はオタオタするばかり。そんな私を軽く笑ってOさんはまた値切り交渉に戻っていった。

11:00過ぎた頃にはマーケットも落ち着き始め、みんな帰り支度を始める。 私達も12:00の景洪行きのミニバスに乗り3人でモンフンの村を後にした。昨日遊んでくれた子供達が見送りに来てくれて「今度、海の写真を送ってください」と書いてあった手紙を貰った。そだね、こんな所じゃ海なんか見たことないよね。タイから絵葉書でも送ってあげよう。

「再見!(さよなら!)」

「再見!(またね!)」

バスの窓から子供たちが見えなくなるまで手を振った。あーなんてウルルン滞在記。

行きとは違いバスはサクサク走ってゆく、最初は私もOさんもドキドキしてフロントガラスを凝視していたが、今朝早起きしたせいか、いつのまにか帰りのバスの中で私とOさんはお互いの肩を寄せ合ってぐっすりと景洪まで眠った。

14:00、3度目の景洪は版納賓館へチェックイン。ちょうど3人部屋が空いていて良かった。窓から差し込んでくる日差しが心地よい。いつまでも話続け、いつもの「メイメイカフェ」で食事を済ませた後、ホテルの部屋に戻ってからも3人でいつまでも、いつまでも話こんでいた最後の旅の夜である。

【1998年3月16日(晴)中国:景洪】

9:00にホテルを出てご飯を食べ、今日出発するRさんと、0さんを見送るためにバスターミナルまで出かけた。まずは私より一足先に一日早くラオスに向けて出発するRさんを見送る。4月末にバンコクで会おうと約束した。

Oさんが乗る昆明行きバスの出発まではまだ少し時間が有るから、バスターミナルの前の市場で「つまみ食い部隊」で満喫した。Oさんのバスの出発時間だ。昨日のうちに書いておいた手紙を、市場でかった果物の袋のなかに入れて渡す。

「再見!(またね!)」

「再見!(また、いつか!きっと!)」

最後にお互い強い握手。それは指が痛くなるほどの。バスはあっという間に出発してメコンにかかる橋を越え走り去ってしまった。

12:10 トボトボとホテルに戻る。まだベッドメイキングは入っていない。また夕方になれば、他の旅行者がこの部屋に入ってくるだろう。私は自分のベッドの荷物を片付け、Oさんが眠っていたベッドに荷物を移して一眠りする事にした。

荷物を移した直後に小姐が部屋に入ってきて、私のいたベッドと、Rさんのいたベッドを綺麗にし始めた。体がだるいなぁ。まどろみながら、ゆっくりと眠りに落ちてゆく。

枕からは昨日帰りのバスで、私の肩に持たれかかっていた時に香っていたOさんの髪の香りがする。ふと混乱し、瞼を閉じる。少しだけ胸が苦しくなって、うつ伏せになり、深呼吸を繰り返す。

日が暮れるまでそのまま、いつまでも、いつまでも、まどろんでいた。

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