この国に愛はあるアルか?!

5000年の悠久の国、中国。人々は5000年の英知に溢れ、町並みは5000年の濃厚さを漂わせる。

と、少しは私も亜細亜の近代化の歴史の一端を担おうと、バブル真っ盛りの1992年の初夏に初めて中国の上海へと船で足を踏み入れた。感動アルヨ。初めての独り海外アル。

さて、溢れる5000年の英知の事は置いとくとして、中国の街に出て私が見たものは、見渡す限り人々と自転車がもろとも溢れかえった光景と、手鼻で溢れていた街角の風景。 そしてこの国の何処でもここでも、とりあえず窓口という窓口は整列とか効率とか考えない人たちが10億人ほど溢れかえっていた有様であった。

とりあえず、窓口という窓口、並べそうなところは全て大混雑していた。

きっと並ばなくていい人たちも、暇だから並んでいて異常に何処も混雑していたのだと睨んでいる。

そんな中国の旅の終わりには、すっかり人間不信になってしまい反中国、反朝日系列になってしまうという。

私もいつも中国から帰る時は税関で、「めんどくさい時は何でも没有って言うんじゃねぇ!このラーメンマンがっ!」と康師傳に怒りをあらわにしたものだ。(「没有」とは元来「有りません」の意味だが、中国では「有ってもお前には無い。チョロパキスタン!」の意味でしばしば用いられる)

な、の、に、今回5度目、2年ぶりの中国来訪となる。まさに嫌よ嫌よもよもぎもち、もとい好きのうち。 中国4000年の歴史の謎でアルよ。シェシェニーハオ。おりしも香港返還から半年も経っていないこの微妙な時期に、本来ならVIPとも呼べるこの私が陸路でタラタラ旅をしている事がバレたら、元会社の上司に影で何て言われるか分かったものではない。

 ――――― 今回も中華グルメの旅が始まろうとしている。

【1997年12月29日(曇)中国:成都】

2年ぶりの中国は私を落胆させるのには十分過ぎた。

そう!相変わらず包子はうまいし、水餃も、牛肉麺も、鶏蛋炒飯も、魚香茄子も、糖酢猪肉白菜も言うことなしだ。しかし!!街角で手鼻をかんでいる人は見かけなくなったし、ごみ箱にゴミを捨ているし、混雑しているものの列車の切符売り場では並ばないと怒る人まで現れるし。せっかくの硬座も「新型空調車両」とかが走っているのでやたら快適だし。

オラ!?やる気あんのか?!まったくお前らしくねぇんじゃねーか? も、し、く、は、今までやればできるのにやってきてなかったかのどちらかだ!

そんな感じで中国に入ってから、駆け足で泰山や曲阜、開封を巡り、クリスマスには洛陽の「龍門石窟寺院」を見た帰りに「男だらけのXmas in China」と称して宿に泊まっていた旅行者を連れて、盛大にマーボー豆腐と、紅西柿鶏蛋、酸辣湯に、青島ビールでクリスマスで浮かれた日本を呪っておいた。

そこから一路、西の都「成都」を目指すのだが、ようやく列車のチケットが取れず24時間の無座だ。(何故か半笑いw)

「無座!」

無座とは何かという深いところから語らねばなるまい。要するに席無しの立ちっぱなし、もしくは床に座りっぱなしという事だ。ん?文字を見れば分かるって?甘い!!!スィートだ!!!そんなに生ぬるいものではない。

中国の長距離列車の無座の意味することを一言で言うと「身動きの取れない列車の連結部分で山済みされたジャガイモのズタ袋の上に座り隙間風に凍えながらトイレに行くことですら我慢し混んでて身動きとれねぇっつーのに意地でも掃除に来る服務員と弁当売りに翻弄されながら儚く散り行く春の夜の桜の如し」である。

そんな感じで24時間後の「成都」に着くころには、既に身も心もボロボロで、必死に駅前から路線バスで30分くらいの「錦江賓館」の前でバスを降り、川沿いに東の方に10分歩くとある「交通飯店」へ(ドミトリー40元)命からがら辿り着いた。

ここ「交通飯店」は中国でも千円以下で泊まれるドミトリーのあるホテルとしては上海の「浦江飯店」に匹敵するホテルである。衛星放送のスターTVも見れるし、トイレの大きい方にはなんとドアまで備え付けてある。まずは荷物を解いて一眠りしたら、ノンビリ散歩でもして夜は火鍋でも食べに行こう。

そして正月、初日の出は成都近郊にある「峨眉山」の頂上を目指す。

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