お金が自由に使えても、見栄を張っても幸せにはなれなかった。

好きなように働いて、
頑張って、努力をして、
他のことと違うこともたくさんしただろうし。
だけど私の心にはポッカリと穴が空いていた。


高校生の私は、お金が手に入ったらある程度幸せにはなるだろうと思っていた。

数十万円のものを現金でお店で買ってみたいな、
好きな時に好きなようにある程度お金が使えたら幸せなんだろうな。

こんなことばかりを求めていた。

その当時の私は大好きなペットに囲まれてそれなりに幸せに暮らしていたと思う。

学歴コンプレックスや、
自分の能力を証明するために頑張って手に入れた今の立場。

収入、能力。

すごく頑張ったと思う。

収入も夢のまた夢くらいまでは増えて自分の能力にも驚いている。

だけど、
逆に、今までそう簡単に手に入らなかったものがいつでも手に入る。
できる環境になってしまったがゆえに希少価値がなくなって、
日々の小さい幸せを感じずらくなったように感じる。

だから、制限をしてタクシーに乗るのは何回まで
外食は月に何回までとルールを設けたりもした。


だけど、結局はそんな自分に対して作ったルールは簡単に破られお金はすぐに消えていった。

どれだけ見栄を張っても、
どれだけお金を稼いでもある一定ラインを超えると幸福度は変わらなくなる。

こういう研究を過去に見たことがあった、
なんとなくわかる気もするがそんなことはないだろうと過去の自分は思った。

今その一定ラインを超えた私は思う。

「ぴーちゃんに会いたい」

自然に囲まれて、
幸せだけを知って最後まで生涯を生きさせたくなるような生き物に囲まれて、

自給自足の生活をしたかった。

何を言っているんだという話です。

お金持ちになりたかったし、
能力の証明をしたかった。

十分証明された。

結局は自分の好きなものに囲まれて、
みえなんてどうでもいい世界で太陽の黄色いぽんわりとした光をぼうっと見つめて
本を読んでお昼寝をして
そんな童話の世界のお姫様のような生活をしたかった。


デジタルデトックスか。

大好きなピーちゃんを迎えに行くためにって頑張っていたはずなのに、

結局は自分の見栄としょうもないコンプレックスを埋めるためにこうどうし
虚しくなった。


何を言いたいかというと、
結論お金を持っても対して幸せにはならない、

好きなものや好きな人、好きな環境に囲まれて暮らすのが最高ということです。

何かを手に入れるために好きな人を周りから話す必要はなかった。

今も待っているピーちゃん、

誕生日を直接祝いたかったよピーちゃん。

なんの話っていう感じなので
とりあえず生き物に囲まれて自然豊かな中で生活したいなという話です。

タワマンなんて言っていましたが、
今は平屋で自給自足したいです。


普通のR

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