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生存バイアス・単一事例との付き合い方

要旨

  • ネガティブな意味で使われがちな生存バイアス・単一事例と上手に付き合うためのエッセイ

  • 生存バイアス・単一事例は科学的に問題があるけれど、使いようもあるよね、という話

生存バイアスと単一事例とは

生存バイアスとは成功事例にだけ注目することで、誤った意思決定をすることである。ウォールドの戦闘機の絵が有名である。

単一事例とは、その名のとおり1つの事例である。「コマツのDX事例」や「ユニクロのマーケティング事例」といったものである。

生存バイアスや単一事例に基づいた意思決定は、後述のとおり問題点が指摘されている。
しかし、その一方で、私たちはしばしばこれらを活用している。

では、なぜ私たちは、問題があるとされる生存バイアスや単一事例に基づいた意思決定をしているのだろうか。
おそらく何か効用があるからだろう。

このような背景のもと、本エッセイでは、
生存者バイアスや単一事例の問題点を概観したうえで、
これらの使いどころを考察する。

生存バイアスの問題点

生存バイアスの問題点は、「うまくやる方法」を考察する際に、失敗事象に目を向けないことである。
統計の視点を借りれば、標本の抽出方法が不適切なことである。
本来は母集団から成功と失敗の両方のデータを標本とすべきなのに、成功のデータだけ取り出して解析してしまうことである。

上述のウォールドの戦闘機の例で言えば、
「戦闘機の撃墜リスクを下げるためには、どの部位を強化すべきか」という問に対し、
無事帰還した戦闘機の事例(帰還機が狙撃された箇所)のみを分析し結論を出すのは問題がある。
即ち正しく考察するならば、撃墜されて帰還できなかった戦闘機の事例(撃墜の原因となった狙撃箇所)も分析すべきであり、
こうすることで適切な「強化すべき部位」を明らかにできる。

身近な例を挙げれば、
「コンサルティング・ファームで早期に昇進するための要因」を明らかにするためには、早期に昇進した人(成功≒生存者)の事例だけでなく、昇進が遅かったり出来なかったりした人の事例も扱うべきなのである。

単一事例の問題点

単一事例の問題点は、再現性や普遍性の保証が(科学的に見れば)不十分なことである。
統計の視点を借りればサンプル数の不足である(そもそもN=1なので統計になり得ないが…)。

例えば「ユニクロのマーケティング戦略は、●●したことが普遍的な成功要因である!」といった言説は世間で散見されるが、ユニクロ関係者へのインタビューや、報道記事等の二次情報のみで結論づけている場合は問題がある。「うちの会社で同じことをやっても成功するとは思えない」だとか「それ、貴方の感想ですよね?」という批判を躱すことはできないからだ。
即ち、少なくともユニクロと類似した組織構造やビジネスモデル、置かれている外部環境の企業を複数分析し、共通している事象を「成功要因」と主張すべきなのである。

身近な例を挙げれば、
「有名なコンサルティング・ファームに転職するための要因」を明らかにするためには、転職成功者1人の単一事例では不十分で、複数の成功事例を(学歴・職歴や年齢、転職時期も考慮したうえで)解析すべきである。
そして、賢明な読者はお察しの通り、上述の生存バイアスへの対応のため、失敗事例も扱うべきである。

それでも生存バイアスと単一事例にすがる私たち

このように、生存バイアスや単一事例は一般的に問題があるとされるが、私たちは、しばしばこれらにすがっている。

卑近な例を挙げれば、
不労所得を獲得し早期リタイヤ(FIRE)した事例
太パパから金銭を得つつ、ハイスペイケメンをも獲得する「パパ活両利きの経営」の事例だ。
これらはどちらもTwitterで持て囃されているテーマだが、
生存バイアスや単一事例のため、すがるには(少なくとも科学的に見れば)不適切である。

にも関わらず、なぜ私たちはこれらにすがるのであろうか。

生存バイアスと単一事例の魅力と使いどころ

フェルヲの主観であるが、生存バイアスと単一事例には「成功した事実」と「成功に至る具体的なストーリー」があり、甘美な魅力がある。

歴史学が好例である。
「徳川家康の天下統一」の事例を例に挙げれば、歴史学が扱うのは天下統一に至るまでのプロセス、事実に基づいたストーリーである*。
言い換えれば、天下統一のための普遍性のある成功要因を明らかにすることを目的にしていない。
つまり、歴史学は再現性や普遍性を科学的に明らかにすることを目的にしていないのだ。

にも関わらず歴史学が支持されるのは、事実に基づいたストーリー、即ち「成功(失敗)した事実」と「成功(失敗)に至る具体的なストーリー」に魅力があるからだろう。

ではこの魅力は何だろうか。
フェルヲの考える生存バイアスと単一事例の魅力は、具体的な成功(失敗)の道筋をイメージさせてくれる、或いは意思決定の際に勇気を与えてくれることだ。

逆説的に言えば、科学的に妥当とされるアプローチ、つまり量と質が十分な標本を用いて適切な解析をしたとして、
私たちは未来を完全に予測することはできない
私たちがより良い未来を手に入れるための意思決定には、どうしたって曖昧性や不確実性が含まれてしまうのだ。

こうした曖昧性や不確実性に対し、
「成功した(失敗した)事例」は、生存バイアスや単一事例であったとしても、具体的な成功(失敗)のイメージを与えてくれたり、意思決定の際に背中を押してくれる。

例えば婚活であれば、科学的に統計に基づいて自身の理想とは異なる現実的な相手を探すやり方がある一方で、
単一成功事例のシンデレラストーリーに基づいて、自身の魅力を高めながら、自身が理想とする相手を探す方法もあるだろう。

科学的には、何時も誰しもが同じ帰結に至るとは言えないが、
確かに成功した事例は存在するということで、
意思決定に勇気を与えてくれるのである**。

これこそが、生存バイアスや単一事例の魅了であり使いどころだと考える。

補足

* 歴史学が扱うテーマはプロセスだけでなく、より抽象化された歴史哲学や文化史など幅広い。しかしながらフェルヲが浅学であることに加え、あくまで一例として挙げる目的だったため、上記の表現とした。

** だからといって、生存バイアスと単一事例にのみ妄信することは問題である。


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