恩田陸 4作 読了

読んだことを記録しておこうと思う。
猛暑である、夏は緑がみずみずしく、緑のある少し田舎のドライブスルーがあるようなスタバの路面店で読むことが多い。
ここには、最近読んだ恩田陸さんの作品を置いておく。

7月になって読んだ恩田陸作品
蜜蜂と遠雷
木洩れ日に泳ぐ魚
六番目の小夜子
鈍色幻視行
夜果つるところ

この5作。いや作中作なので4作かな。
読んだ順番ごとに記したが、きっかけとなったのはサークルの読書会で蜜蜂と遠雷を読むということになったからだ。それまで恩田陸の作品には触れてきたことがなかったが、この作品をきっかけにこのような素晴らしい作家に出逢えたことを感謝しなければならない。浪江先輩ありがとう。彼は恩田陸さんの大ファンだそうでこの読書会は彼の主催らしい、最近部室に顔を出せていないから今度この作品たちのことを語ろう。

蜜蜂と遠雷はかなり衝撃を受けた。4人のピアニストとそれに関わる人々の話。クラシックの曲の特徴やコンクールの内容があまりにも詳しかったため、作者は音楽関係者なのか?と疑ってしまうほどであった。文字で音と迫力を表現することはきっと想像する以上に難しい、しかし、蜜蜂と遠雷はそのホールにいてその演奏を聴いているかのような鳥肌が立つほどの多彩な表現で魅了された。長い話だったが吸い込まれるように読み終えてしまい、恩田陸の世界に惹かれるきっかけの作品となった。私が演奏を聴いてみたいと思う登場人物は栄伝あやだ。彼女の生みだす空気を感じてみたいと思う。ノスタルジアを感じる音楽とはどのような感覚だろう?この本を読んでいる時はクラシックを聴きながら読んでいた。クラシックはやはり何十年も愛され演奏されきただけあり本当に素晴らしい。幼少期にクラシックバレエをしていて良かった。小さい頃から音楽に囲まれて生きてきたのだなぁと思う。好きな曲はスメタナの我が祖国。作中の曲だとイスラメイが好きだ。

実のところ、本当に恩田陸は音楽関係者なのかと思っていたため、他の作品も読んでみたくなり手に取ったのが木洩れ日に泳ぐ魚である。長編を読んだあとは、ちょっと短めの作品を読みたくなるもので、木洩れ日に泳ぐ魚は1日か2日くらいで読み終えた。こちらも1夜の話とは思えない濃密さであった、そして許されない恋が燃え上がるというのは魔法のようだと思った。それが解けてしまえば、何も無かったと知ってしまえば魅力が半減するのだ。それは恐ろしく、しかし無意識に惹かれてしまうのだろう。『罪の共有』湊かなえのNのためにで書かれた究極の愛は罪の共有であった。この作品でも罪(近親で愛し合うこと)の共有はキーセンテンスになっている。このように愛し合える人に私は出会うのだろうか。

恩田陸処女作である六番目の小夜子。ここまで来るともう私もファンになりつつある。こちらは学園ホラーミステリー的な作品。テイストとしてAnotherっぽい感じだなという印象を受けた。(私は生粋の綾辻行人ファンである)学校という箱の中はそこだけが別世界のようである。学生はその箱の中が全てだ、箱はそこに長く在り続ける。読んでいて様々なことを思い出した。憧れ。同級生であれ、先輩であれ憧れの存在というものがある。私にとって5つ上のK先輩は憧れであった。というかあれは、恋をしていたんだと思う。目が合うだけで嬉しかった、お手紙交換をしていた手紙を大切にしていた。一緒に練習している同級生を疎ましく思った。この頃は、先輩の言うことが全てだった。そんな存在。ここで言うさよこはそういうような存在なのではないだろうか。こんなことは本の感想でもなんでもないが、そんなことを思い出した作品だった。恩田陸の生み出すノスタルジアは素晴らしい。そう実感した。

鈍色幻視行、夜果つるところ
こちらは超大作。夜果つるところは鈍色幻視行の作中作として鈍色幻視行の翌月に出されたものである。海の上で語られる癖のある登場人物たちの飯合梓に関しての様々な憶測は面白かった。ジェンダーや血縁関係、原作を映像化するという行為。鈍色幻視行の私の好きなキャラは、雅春。主人公梢の夫である。雅春は弁護士という仕事をしながら、ミステリー好きそういう所が1番私に近いような気がしている。他にでてくる登場人物は、ジャンルは違えどクリエイター感が強く、やはり私とは別世界のような気がした。彼は、配偶者に作家を選ぶ。自分にはないものを補填するかのように前妻も後妻も作家なところ、推理小説好きで自分が名探偵のように謳っているが実はそうでないことを知っていること。そういう人らしいところがどうも共感する。
夜果つるところの墜月荘には惹かれるものがある、ほんとうにあのような場所があの時代に日本にあったのではないかと思ってしまうほどだった。映像化することは、人に見られる機会が増えることに比例して作者にとっては自分だけの作品を削られてしまうような気持ちになるという。しかし、夜果つるところを今舞台や映像として見て見たい。私もそっち側の興味があるらしい、曰く付き にならなければいいが。

評論家というポジションについて書いてあったことに感銘を受けたため記しておこう。私も以前までは評論家って自分は何も生み出さないのに偉そうに人の作品にケチをつけているという印象であった。しかし、作者にとっては読者がどう感じたかというのはとても気になることであるし、深読みして深読みして作者の隠しているものを紐解いて欲しいと思うはずである。それを評論家として得意の深読みから多彩な表現で感想を述べて意見をする、一般の読者にも興味を惹くような宣伝をすることはとてもできそうで出来ないことであると思う。私自身読んだ本に感じたことがあってもどうにも言葉が浮かんでこなくて他の人の感想などをみると、あぁ私が感じたことはこういうことだったのかと思うことがかなりある。これは私の勉強不足による語彙力不足であることは間違いないのだが。

今年の夏休みは本を沢山読めそうだ。楽しみなのは3泊4日のサークルの合宿。緑に囲まれた環境で思う存分本を読めるのは最高だろう。

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