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銀河鉄道999 (The Galaxy Express 999)

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あらすじ
母を機械伯爵に殺された少年、星野鉄郎は母の仇を取る為、自らも機械の身体を手に入れる為に銀河鉄道へのパスを手に入れようと仲間達とステーションに出入りしていた

ある日鉄郎は危ない所を美しい女性に助けられる 彼女は自らをメーテルと名乗り、自身の旅に同伴する、という条件で機械の身体を無料で提供するという星に行く為の銀河鉄道999のパスを鉄郎に渡す
鉄郎はメーテルと共に999にて銀河を旅する事になるが、道中で出会った機械人間の悲しさ愚かしさ、そして人間の強さを知ることによって決心が揺らぎ始める

そして最終駅に着いた鉄郎を待っていたのは驚くべき真実だった…

(物語の重要な箇所と結末に触れています)

銀河を旅する999、そして鉄郎とメーテル それは鉄郎のMAP OF THE SOULそのものであるという事、そしてメーテルはラストで自身を少年時代という青春の幻影、と語りますが、鉄郎が大人になる為のナビゲイターであり、鉄郎という少年の抱えるあらゆる感情の投影だとも言えるかも知れません
テレビアニメ版のラストでもやはりメーテルは自身を幻影である、と語り、メーテルが去っていった後に鉄郎が銀河鉄道999の旅は本当は1人だけの旅ではなかったのだろうか、と思った事それこそがメーテルという女性の全てを説明している思います

絶世の美女だった鉄郎の母とそっくりな容姿、それはメーテルの母プロメシュームから与えられたもの、とメーテルは鉄郎に打ち明けますが、失った母との時間を再構築するようなメーテルとの旅、そしてメーテルが父と母の間で揺れ動き苦悩する姿は鉄郎の内面の葛藤そのものであり、鉄郎が真の意味で母親に別れを告げ、初恋を経験し破れ、友を得てそれを失う経験をした後にメーテルが目の前から去っていったのはやはり必然的な事だったのでしょう メーテルは鉄郎のもう1人の自分だった、と言えるかも知れません

メーテルという常に影がつきまとう女性を、親のエゴイズムによって分断され、自分自身を失ってしまった、という人間像で描いているのも松本零士氏の人間に対する深い洞察力に驚くばかりです 鉄郎の母親を子供に対する無償の愛の象徴として描き、メーテルの母親を子供の人生を根本から破壊した親として正面から描いてます そこに一切感傷的なものはない

キャプテンハーロックやクィーンエメラルダスがオールスターキャスト的なゲスト出演に留まることなく、一切の感傷を排除したような厳しさを鉄郎に教える役目を担う演出も素晴らしいに尽きますし、ラストのメーテルと鉄郎の別れほどの名シーンは映画史のなかでもなかなかないと思います

この映画の正当な続編、さよなら銀河鉄道999アンドロメダ終着駅も名作と呼ぶに相応しい作品です

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