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ルッキズムと私

書くのが難しい話題に思う。
ルッキズムが蔓延して、「こうあるべき」という姿が社会に浸透するから、人は自分の見た目に関して、優越感なり劣等感なりを抱くのだろう。

私のコンプレックスは、女性として、日本社会で生きるのに、やや難ありだ。

電車の吊り革広告で脅迫的にすら感じられる全身脱毛。
日本人の女性にとって一番困るパターンは、「肌が白い」かつ「毛深い」というパターンであろう。
せめて、肌が白くなければそんなに、その毛は目立たずに済んだのでは……と恨みがましく思うもの。
が、私はいわば最強の遺伝子でそれを受け継いだ。兄も妹もいるが、私が断トツで、親からも気の毒がられるレベルだ。
プールが嫌いな理由は山のようにあったが、年齢を重ねるにつれて、その理由の大きなものが、自分が周りと比べて「誰よりも毛深いこと」になっていく。


それから、私は顎変形症で、下顎前突だった。私の年齢だと、下顎前突という言葉を知らない人たちも、想起するのはアントニオ猪木さんになる。笑いに変える強さがあるタイプの人間ではなかったから、「しゃくれている」という表現で揶揄われてしまったり、「猪木」の言葉が聞こえると、全く関係のない話でも、いつも怯えていた。容姿が周りの人と異なることで、こんなにも揶揄いの対象になったりするものなのかと、下顎前突が酷くなるにつれて学んだ。

「酷くなるにつれて」、ここが辛いところである。
小学校の高学年くらいから目立ちはじめたが、そういう思春期真っ只中に入る前までは、まだ顎の骨が普通の人と同じくらいの位置にあった。成長と共にしゃくれていき(下顎前突になり)、ひどくなっていくから、悪気がなかったことはもちろん分かっているが、普通に過ごしていても、親から「また下顎前に出てるよ」とよく言われた。よく下顎を無理やり引っ込めようと、外側から殴ってみたりした。よほどの力で殴らねば、骨がズレることは勿論ない。両親は恐らく、単純に、変な顔をしてそうなっている(→そんなことしてると、本当にそんな顔になっちゃうよ)と、思っていたのだろう。
実際どうだったかと言えば、けしてそんなことはなかった。本人は何もしていなかった。ただの成長であり、ただの骨の発達だった。骨格上、そうなる運命だったと言える。同じ症状は、兄も持っていた。

結論から言うと、それほど私の意思確認をするということもなく、母が案じてくれて、歯科矯正(私のレベルの下顎前突では、「歯科矯正」=全身麻酔の手術を想定した、「術前矯正」になる)をさせてくれた。始めたのは浪人中、19歳の年だった。

親知らずを抜くこと(掘り出して抜く)に始まり、顎のサイズに比べて、多い歯を抜いて減らしていき、ワイヤーでどんどん締めて動かす。昔ながらのやり方だ。痛みで、流動食系のものしか食べたくなかった時期も多かった。浪人している身というのもあって、よろこびというものがない1年だった。

何はともあれ、翌年上京して進学することができた。術前矯正はもう一年はかかる。毎月夜行バスで帰っては矯正に通った。そして大学2年の夏休みに、全身麻酔の手術を受けた。

口の中から切る形で上顎と下顎を外して、下顎の奥の骨を切って、戻すような手術で、下顎が引っ込んだ。顔が腫れたときは、恐竜の赤ちゃんみたいな顔だった。
流動食生活になって体重が落ちた(この時はその後リバウンドした笑)。周りからどう見えるかと言えば、当然、顔が変わった、整形した、ということになる。大学生ともなると、そのことについて、ダイレクトに質問されるようなこともなかったが、顎変形症を治すための手術と整形と、どう違うんだろうと、我ながらよく思った。「顔が変わる」ということを、どのくらい認識してこの矯正を始めたのか、という点も言いにくい面がある。正直あまり何も考えていなかった。歯の矯正はしたい=手術を伴う=顔が変わるなので、選択肢がなかったから。

※審美的な問題もあるが、元々歯が噛み合わないから、まともな咀嚼ができず、麺類の食べ方なんかは上顎と舌で麺を切っていたから、噛み切ることができるものだとは術後まで知らなかった。他にも、発音の問題とか、自分の身体以外を体験できない以上、それが不具合だったり、人と異なっていることなのかどうかわからなかったから、なんだ皆はこんなに楽だったのかと思った事柄はいくつもある。そのくらい、食べ方の例で言えば、手術なしには普通の人の食べ方を知らない程度に障がいを持っていたことになる。そのことから、保険適用にもなっている。

顔に手術を施して、健康被害も考えて歯列を治すことと、美しくなるために、希望する部分に手を加えてもらうことの違いとは。

手術を受けたことに、歯科矯正をさせてもらえたことに、何の後悔もなく、本当にありがたいと思っているが、その変化によってどんなことに直面するのかっていうのは、同じ体験をした人でなければ、誰と共有できることでない。

端的に言えるのは、顔が変わると、周りの扱いが変わったということだ。

私はけして美人ではない。ただ、簡単に言えば、見た目が醜いところから、ある程度可愛いというラインに達したのだろう。
分かりやすいのは、初対面の人に言われる言葉の変化だ。ノーコメントだったところから、何か言われるようになると、何と答えればいいか戸惑うことが増えた。

そして、痩せることの効果は大きい。
私は万年太り気味だった。それかギリギリ普通か、くらいのラインに育っていたので、よく言えばぷくぷく、悪く言えば万年パンパンだった。幼少期から、大体いつも。

それが大学4年の時に暇すぎてやってみたホットヨガやら、失恋すると食欲が消え体重が減る体質やら、うつ病やらで、体重が減った。
7kg単位での体重変動(減少)が私にとってはあるあると化している。本人も家族も、大きなリバウンドを恐れ続けたが、幸運なことにリバウンドしていない。

人生で一番重かった時の体重に比べて、社会人になってから、−7kgして、そこから更にうつ病で−7〜10kgを彷徨っているのが今だ。

周りからの扱われ方が大きく変わるのを目の当たりにして、
・男の人は華奢な女の子に優しい
・男の人は醜いより可愛い子に優しい
というシンプルな真実を痛感する。

世の中そんなものか。

コンプレックスなんて誰もが持つものだ、という次元でなく、施術だとか手術をなしに解消されないコンプレックスを抱えた経験と、
それがなくなった時に目の当たりにする景色が、私に学ばせるものは何だったか。

とても綺麗な現実とは言えない。

でもこれを経験した人と、経験することなどなく、恵まれた容姿に生まれた人、太っていた時期がある人ない人で、想像力や感受性は異なってくるだろうと思う。

大きく言えば、容姿に関わることで、揶揄される立場を経験する人生と、経験しない人生だ。
生まれる場所によっては、人種差別や部落差別のようなものと、共通する点もなくはないだろう。

でも、見た目のコンプレックスが強かったからこそ、私は容姿に関する揶揄をする人を軽蔑するし、本人が構わないと思って、むしろ売りだと思っていたとしても、テレビ番組などで笑われる対象にされることが許されていることに賛成できない。笑っていいものだと教育するようなものだから。
大人になって思ったことだけれど、私の頃の下顎前突の代名詞が、人々からの尊敬も集める、アントニオ猪木さんだったことは、幸運だったのかもしれない。彼の経歴を知りもしない子ども心には、けしてそうは思っていなかったけれど。

結論をまだ上手く書けないが、
大抵経験することのないコンプレックスと、その解消を経て知る、見た目に関する周囲の反応について、一度棚卸した。

ちなみに全身脱毛は、大人になってから、ノースリーブを楽に着たくて、数年某企業のものを受け続けたが(医療脱毛ではない)、頼んだ会社が倒産し、永久に面倒を見てもらえる契約のはずが、あっさりそうでなくなった。

整理はこれから進めたい。

でも1つ確実に思っていて、人には、特に両親には言えないことがある(先日言っちゃった笑)。
それは、私の毛深さも、私の下顎前突も、誰かに(特に女の子には)遺伝させたいと思えないことだ。
「同じ経験をしているから支えられる」と考えることもできるはずだが、その遺伝が起こることを望むかと問われたとき「はい」と、私は言えない。

大した事じゃない はずなんだ。

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