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受け取れ!の話

先日、ありのまま愛することの話を書きました。
世間やら学校やらの尺度は本当にどうでもいい
子どもをそのまま受け入れてくれたら、と。
そしてそれがいろんな要因で難しい状態の保護者を責めず、
それ自体も受け止めつつ、
親以外の大人も、安心安全基地的になれたら
そんなふうにいられたらと願います。

その話のときに書いた子は例えば
確かな答えのない問いを嫌うし、
自分はどう思うかを問われると固まる。
(自分もそうだった)
その子のお母さんはそれを本当にダメだと言うんだけど
(お母さんもすごく関係あると思うんだけど)
でもそれが本当にダメかっていったら全然そんなこともない。
いい悪いでもない。
私の立場(教員)からすると、
絶対答えなさいってもんでもないし。
そういうのもあるのかーって知ってってくれれば。
そういう場合にどうしたいか、どうするか、考えてってくれればいいだけなのだけど、、

眠ければブーたれる素直さがかわいい。
鼻歌を歌いながら絵を描きまくるのも愛おしい。
外で走るのが大好き
変な顔をしては笑わせてくる
大量のタスクがあっても気合で乗り切る
これイヤなんだよねーと正直に言葉にする
そういうどんなところも、いい悪いじゃなくて、
その子のそういう性質なだけで、
それがいちいち面白いなあと思っている。
そういう、面白がるとか、
いい悪いじゃなくてそういう性質なんだなとか、
そう受け止めて関心をもつのが、
ありのまま愛するということなのかなと今は思っています。

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先日、仕事で研修がありました。
見知らぬ同業者たちがたくさんいる中で、
やりましょうねっていう課題はふつうにやりましたが、
合間の時間はなかなか、
私はその人たちの話題が好きじゃなくて、
つまらないし、その波の中にいたくなかった。
友達つくろうとか全く思わなかったので
貝のようにしていました。
その夜、その旨を、友達にLINEで伝えていたらその友達が、
「顔に出るとみちゃんがばちばちに想像できて愛しい^^」と。

ここの誰ともあまり関わりたくないや、と
(合わない人ばかりではないかもしれないのに)頑なな鎧を発動させていて、
「でももう顔つくれないんだもん、すみませんね」と思っていた私は、
たぶんそう気にされてもいなかったし
どうも思われなかったかもしれないし
なんだこいつと思われたかもしれないし
まあそれは分からない。
でも、ムスッとした私を想像して
愛しいと言ってくれるなんて!!

で、ハッとしました。
ムスっとしていてもかわいい
何かできてもできなくても愛おしい
存在自体がおもしろくて好き
私、いつもそう思っている。子どもたちに。
それなのに、自分に対してそう思えていなかった。
これまでも言葉はかけていたけど、今日は本当に深―くしみわたった。
そのままを愛しいと言ってくれる友達がいる。
思えばひとりふたりじゃなく、いてくれている。
めちゃくちゃありがたいことだなと思って
愛されてるんだなーとか
そのままで本当にいいんだなーとか
ちゃんとしみ込ませました。
これまでもそんな愛がたくさんあったのに
全力でスルーしてきた気がします。
これからは素直に受け取ります。
人にあげてばかりではなく自分も受け取ります。
循環ってそういうかんじ、たぶん。


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