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教えるものじゃないと思う話

子どもに対して「善悪や正誤を教えなければならない」ってことはない。よほどの場合でなければ、ほとんどは、考えるのに寄り添うだけでいいと思う。
学校でそう言うと
「えっむしろ善悪以外の何を教えるの」と返ってきたこともあります。
持ちかけられる相談がそもそも、教えなきゃいけない前提であることも多いです。

感情やニーズをすっとばして、「これは悪いことだ」とか断罪、非難するのは、何を教えたことにもならない。ただただ脅威だって植え付けるとか、従うしかなく自分を捨てさせるとか、思考停止を促すだけだ。

自分の中のコミュニケーション(大事)と
人との間のコミュニケーションの
整理を手伝うだけでいい、
どう感じていたのか
何が欲しかったのかに届くまで手伝って、
どうしていきたいかに届くまで寄り添って、
またやってみて、の繰り返しでいい
今の時点ではそう思っています。

少し俯瞰できたかなという時点で、
じゃあどうしたいのか。
感じる力がある子どもを
大人がジャマしちゃいけない。
できるだけ、
感じることを阻害しない
欲することを否定しない
横にいて聞くのみ

そんなこと言っておきながら
できない時もたくさんあるけど🥴
今のところの自分はそんな意識でいるんだなと
気づかせてもらっています。
理想ばかりを見ていた頃から一周まわって、
また理想を見ています。笑
でももうそうなっちゃう自分を受け入れています。

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