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【鑑賞した方向け記事】シン・エヴァンゲリオン劇場版初見感想と個人的考察【ネタバレあり】

※本記事はネタバレを含んでいるため、これから観られる方はブラウザバックをお願いいたします。

ようやく観てきました。

今首都圏は緊急事態宣言下なので、いつも映画を観る時は会社帰りの金曜夜レイトショーで酒を呑みながらゆったり1人で鑑賞するのが鉄板だったのですが、公開からSNSなどシャットアウトしてネタバレ回避するのも辛かったので、無理矢理午前半休をとって、平日に観てきました。

ネタバレを含む内容を書く前にちょっと前置きを書いておくので、ここまで読んでしまってこれから観に行こうとしている方は、まず観てから記事を読んでいただけるとありがたいです。ブラウザバックするなら今のうちです(笑)

エヴァは私は旧劇場版からリアルタイムで観ていた世代です。

当時私も中学2年生で、まさに14歳。主人公達と同世代で当時のエヴァブームの中心にいた時代。本当に凄かったというか、新劇場版とは比べ物にならないくらいの社会現象が起きていました。きっかけはいきなり旧劇場版である「THE END OF EVANGELION」を友人に誘われて観に行き、終始全く訳の分からない、ホラー的で性的なものを観させられ、唐突に「終劇」と出て映画が終わる衝撃に、「これはTVアニメ版観なきゃ!」ってなったんですよね。ちょうど深夜にTVアニメ版一挙放送やっていたので、全て録画しつつ、釘付けになって早朝まで観ていたのを覚えています。そして録画したアニメを全話何度も観て、さらに旧劇場版を再度観に行ってを繰り返していました。それくらいハマっていました。

新劇場版・序が公開されて14年。シン・エヴァンゲリオンの公開タイミングがまさにQのニアサードインパクト(ニアサー)後の設定に追いついたわけです。これはコロナ渦も相まって結果的に鑑賞者の感情移入をさらに高めることになったかなと。

さて、前置きはこのくらいにして、シン・エヴァンゲリオンの考察も含めた感想を書いていこうと思います。




数多くの考察サイトでは、Qから旧劇場版の続きに舞台転生していてとか、旧劇との繋がりを全面に書いている方が多かったのですが、私はそう思いませんでした。あくまで旧劇のオマージュ、リスペクトが入っていて、完全に序→破→Q→シンの新劇場版一連のストーリーだったと思いました。

なぜかというと、破後のQ予告編で流れた「2.5」の部分が多少補完されたんですよね、今回のシンで。サードインパクトを阻止したのが加持さんで、ミサトさんに託してヴィレの誕生に繋がっている時点で、破から旧劇場版にガフの扉を通じてワープしているわけではありませんでした。そう考えてもいいという、捉え方は任せる的な庵野さん映画マジックな所もありますが。なので、ワープしたから旧劇の旧ってQのこと?って捉えてもらってもさらに面白いよねという程度のものだったと思います。

実際に旧劇のオマージュとリスペクトは終盤凄まじかったです。裏で流れてたBGM。旧劇ラストの浜辺。電車内シーン。しまいにはTV版最終回に使われていたセットなど。もっと言えばシン・エヴァ冒頭の序からQまでのダイジェストシーンで流れていた「主よ、人の望みの喜びよ」とか。

ただ、渚カヲル君だけは何度もDEATH & REBIRTH(ストーリーループ)を繰り返していて、その1つが旧劇場版の世界だったから、序の最後ですでにシンジ君のことを知っていたり、破の最後の「今度こそ幸せにしてみせる」というセリフだったんだなと分かったので、カヲル君だけは旧劇との繋がりがあったのは事実ですね。確かに血のついた月と血がついていない月の関係性から、旧劇と新劇の宇宙構造を説いた方の考察を観て「なるほどなぁ」と感心したのもあったので、実際には旧劇とも関連があるけど、ストーリーとしては、別にシンジ君はストーリー分岐してワープしているとかそういう話ではないと思いました(綾波の幽霊が出てきたらワープフラグと言っている方もいて面白かったですが)。

そう考えると、カヲル君=私達映画鑑賞者という目線が同じ。

我々も漫画版のエヴァ含めて、合計3つのエンディングに辿り着いたわけですから、カヲル君の立場に近いのは私達なのかなって。


個人的にトウジやケンスケなどエヴァで一番平和で楽しかった、幸せだった日々に登場したメンツが再登場したことが何よりも救いでした。「生きてたんか!よかった!!」ってなりましたもん(笑)自分の友人に何十年ぶりに再会した気持ちになりました。旧劇やQでは一切登場せず、あー彼らもLCL化してパシャンしちゃったんだなって想像しては悲しい気持ちになってましたよ、ホント。

彼らが登場したことで、映画全編に渡ってポジティブな雰囲気になっていきます。旧劇はとことんネガティブかつホラー映画でしたから。だからシンジの心情変化が心強くも思ったし、ラストで父親と対峙するシンジが凄くカッコよかった。大人になったシンジが観ているこちら側を安心させてくれました。

アスカに関してはまさかの綾波レイと同類のクローンだったという衝撃の事実が明らかになり、レイもアスカもシンジに惚れやすくなるようプログラムされてるとか、えええええ(涙)ってなってしまいましたが、破での第9使徒が眼帯の奥に宿っていたこととか、ここでも謎に包まれていたことが回収されてスッキリしました。だから破でアスカが実験体に選ばれ、第9使徒を殲滅した時にリツコが意味深なこと(「バックアップ」)を言っていたのは、シキナミシリーズだったからなのかって。旧劇と傷跡がほぼ同じという点で、Q以降のアスカは惣流なのでは?っていうのは私も思っていたことではありましたが、結果的に式波でした。

ただ、13号機にエントリーされていたオリジナルのアスカが惣流なんじゃないかって言っている人が多いですね。ただあれが惣流だとすると、旧劇とストーリーが完全に繋がっていないと無理な話(碇ゲンドウやゼーレが旧劇の世界を行き来できて、惣流のデータをバックアップでもしない限り)なので、個人的には綾波のオリジナルと同様で、式波のオリジナルがああいうダークな奴だったというだけな気がするんですよね。確かに惣流と結び付けたくはなるし、そう考える方が面白くはなるんですが。これも庵野さん得意の「皆さんの想像にお任せします」な気がします。

アスカとシンジの関係ですが、ここで区切りをつけている点について。お互いに好きだったと告白して何かグッと来ました。この2人こそがお似合いだ!ってTVアニメ版~旧劇から思っていたことではありましたが、ついに告白し合ってくれて良かった。アスカはケンスケとくっつく設定になっていましたが(実は昔エヴァのゲームからあった設定でもあって、あまり驚くことはなかったです)、失意のシンジを何だかんだずっと気にかけている所とか、あの旧劇ラストの浜辺のオマージュシーンから、シンジが告白した時のアスカの表情や仕草を観ていても、アスカはまだシンジに未練はたらたらで、恋愛感情として好きなのはシンジだというのは変わらないんじゃないかなと。ケンスケはあくまで「父親として」。熟したケンスケは加持さんとダブっている所ありましたしね。

そして今作で最も輝いていたのはマリ。マジでマリのこと好きになっちゃいましたよね(旧劇まではアスカが好きだったんですが)。マリの設定に関しては漫画版を読んでいると分かるんで割愛しますが、マリが精神年齢的に一番上で、シンジのこともアスカのことも気にかけていて、全体的にミサトさんに次ぐ保護者的存在でした。最後シンジ君とくっついたのはびっくりしましたが、旧劇までシンジ君の傍にいてくれる人がいなかった(結局アスカとシンジは旧劇ラストで気持ち悪い拒絶で終わってしまったので)ため、マリという新劇場版での新たなキャラクターがシンジを最終的に幸せにする存在となって完結できたと考えるとしっくり来たので、何の違和感もなかったです。ただ、マリはマキナミシリーズのクローンだったのかどうかは分からないです。ユイが実験体になった同時期にマリも実験体になって、エヴァの呪縛から16歳くらいの体のままになっていたのでは?って考えますが。

体を張ってくれた加持さんやミサトさんはネオンジェネシスの世界では存在しないのかもしれないですが、皆がそれぞれの歩みを始めて、シンジが大人になったというハッピーエンドで終われて本当に良かったなと。なぜ神木君が?って思いましたが、ちょうど14年前に神木君は中学1~2年なので、シンジと同期しているのもあって選ばれたのかなと。


というわけで駆け足でバババっと語っていきましたが、シン・エヴァンゲリオンでついにエヴァが完結してしまいました。

ええ、「してしまいました」です。淋しい。終わってしまうのが淋しい。もっと観ていたい。何か虚無感に襲われています(笑)

無理矢理映画を観に行った感があるので、緊急事態宣言が解除されたらレイトショーで落ち着いて2回目を観たいなと思っています。そこでまた新たな発見があるかもしれないし、旧劇みたいに何度観ても色んな発見のある映画だなと感じました。鑑賞した皆さんはどういった感想を持ったでしょうか。ぜひ語り合ってみたいですね、いつの日か。


最大の謎は、渚司令。

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