見出し画像

逃げた文鳥を夜明けに連れ戻した話

 メスの文鳥を飼っている。ある年の秋に、台風で近くの川が氾濫しそうになり、命の危険を感じて震えて過ごした。翌日、台風一過で気持ちのいい天気となり、鳥専門ショップに立ち寄ってみた。「あ、文鳥いっぱいいる」「こいつ手に乗るねぇ」「買うかぁ」という勢いで購入。人懐こい性格らしく、連れて帰った初日から「遊ぼう」オーラを放っていて、ものすごいスピードで懐いた。手の平の上で寝て、エサ(青菜や穀物、卵の殻)を食べ、家の中のどこにでも肩に乗ってついてくる。相思相愛で、毎日一緒。寝るとき以外はほぼ放し飼い。

 2年後の4月の夕方、夫とちょっとしたことでケンカになり、日頃の不満をLINEで言い合っていた。私の主な不満は、バレンタインのお返しを夫が先延ばしにしていたこと。ホワイトデーから1か月以上過ぎていた。気分転換に家を出て、1時間ほど近所をぐるぐる散歩してから帰ってきた。玄関のドアを開けると、中から勢いよく何かが飛び出してきた。不思議に思いながらも、一旦家の中に入り、数秒間考えた。「あれ?!文鳥か?!」

 私が出かける前に、鳥かごにしまい忘れていた。

 すぐに外に出て、周囲を見ると、隣家の倉庫内の柱の上にちょこんと止まっていた。捕獲するには、家のアパートの階段から塀を乗り越えて隣家の倉庫に忍び込まなければならない。自分一人では無理だと思い、夫に電話して、すぐに帰ってきてもらった。5分程で合流し、ケンカ中でお互いちょっと気まずかったが、「自分が倉庫に入るわ」と言って、塀を乗り越えて行ってくれた。私は倉庫の出入り口でスタンバイ。夫が文鳥に近づき、「おいで」と手を伸ばして捕獲しようとしたが、興奮していた文鳥は倉庫の中を飛び回り、出入り口にいた私の手をかすめて、家のアパートの外壁に止まってしまった。文鳥は夫に懐いていなかった(むしろ大嫌い)。その時点で文鳥の姿は見えたけれど、手の届かない高さにいるため何も出来ず、しばらくすると夜の闇の中に飛び去ってしまった。二人で付近を探し回ったが、鳴き声も聞こえないし、手掛かりもなくて、1時間ほどで断念し、帰宅した。夫がアパートの横の塀の上を歩いていたところ、住人の若い女性に不審がられて、スマホで顔写真を撮られて心が折れたのだった。

 文鳥が外に出るのは初めてで、車も他の生き物も見たことがない。大型トラックが家の前を通るたびにドキッとして、ネコやカラスに襲われたらどうしよう、と不安が募った。ネットで「逃げた鳥が戻ってくる方法」を検索しまくった。「文鳥は帰巣本能がないので、飼い主が見つけてあげるしかない」「飼い鳥は飛ぶのに慣れていないので、家からそう遠くない場所にいるだろう」「鳥が逃げたのではなく、飼い主が逃がしてしまったのだ」「小鳥は飛ぶために身体を軽くしているため、24時間何も食べられないと命が危ない」。雑多な情報が出てくる中、ある記事が目に留まった。「複数飼いの場合、残った鳥を庭に出して鳴き声(呼び鳴き)を聞かせると帰ってくる」といった内容だった。うちの文鳥は、購入した当初は性別不明だったが、行動や体格からメスの特徴があると勝手に思っていた。普段から文鳥の動画を流すと、特にオスのさえずり(メスにアピールする声)に反応する。それを信じて、スマホに文鳥の鳴き声やさえずりの音源をダウンロードし、YouTubeでも文鳥の動画をいくつか保存した。試しに家の窓を開放し、しばらく流してみたが、暗闇から反応は返ってこなかった。

 探し方を調べ尽くして、あとは夜明けを待つしかなくなった。夫と私は最悪の気分で、文鳥にかわいそうなことをしてしまったと悲しんで、二人で泣いた。「ごめんね、ごめんね」と言って、空になった鳥かごを見て、とても居心地が悪くなった。夫はもう諦めていて、私の気持ちをなんとか宥めようとしていた。

 布団に入り、夜明けを待った。夜中に3回、逃げた文鳥が帰ってくる夢を 見た。絶対に連れ戻すというインスピレーションが沸いた。

 夜が明けた。上着を羽織って、家を出た。「飼い鳥は飛ぶのに慣れていないので、家からそう遠くない場所にいるだろう」という情報を信じて、家の近くの並木道を、文鳥の鳴き声の音源を流し、名前を呼びながら歩いた。野鳥の鳴き声はするが、文鳥の鳴き声ではない。普段、鳥の鳴き声を聞き分けられるわけではないのに、ここにはいないという確信があった。30分くらい家の周辺をくまなく歩きまわったが、見つからなかった。

 一度家に帰り、交番に遺失物届を出しに行こうと考えていたとき、木の上から鳥の短い鳴き声が聞こえた。スズメの鳴き声が「チュンチュン!」とすると、聞こえてきたのは「チッ!チッ!」なじみのある鳴き声だった。高いところにいたので姿は良く見えなかったけれど、白い小鳥がバタバタ飛んでいた。明らかにスズメより羽ばたきの回数が多いのにあまりうまく飛べていない。あれはうちの文鳥だ、という確信を持った。鳥はスマホから流れる文鳥の鳴き声に明らかに反応している。木の下にあるブロック塀に腰掛け、スマホの音量を大きくした。鳥は興味を持って、段々近くに降りてきて、姿がよく見えるようになった。昨夜、近くまでいけたのに、手をかすめてしまった失敗を思い出した。ここでしくじったら後はないと思い、気持ちを落ち着かせて、YouTubeのさえずり動画に切り替えることにした。5秒のCMがもどかしい。動画を流すと文鳥は更に興味を持って近づいてきて、名前を呼ぶと、ついに私の頭の上に乗った。そこで、手を身体の前に差し出すと、そっとその上に乗ってきて、手のひらに収まった。そこは、家から80mほど離れた教会の前だった。

画像1

 ダッシュで家に帰り、夫に「捕まえたよー!」と叫びながら、文鳥を鳥かごに戻した。文鳥は、一晩中教会の前の木の上で過ごしたようで、少し汚れていて元気がなさそうだったが、しばらくするといつものように羽繕いを始めた。夫はいつもの時間に起き、文鳥のことを悲しみつつも、出勤の準備をしていたようだった。捕まえて帰ってきたことに驚き、「すごい!」と褒めてくれたし、一緒に喜んでくれた。

 出勤直前に、夫が袋を持ち出してきた。中には、焼き菓子の詰め合わせが入っていた。「これ、ホワイトデーのお返し。遅くなってごめんね。」昨夜、帰宅前に買って来たけど、文鳥の事件があって渡しそびれたらしい。「ありがとう。」

 「鳥が逃げたのではなく、飼い主が逃がしてしまったのだ。」

これは本当にその通りで、文鳥にひどいことをしてしまった。文鳥の平均寿命は7歳で、うちのはまだ1歳半。人間より短い命で、いつか必ず終わりが来ると知っていたけど、このように唐突に文鳥を失いかけるとは思わなかった。いつも一緒にいて、かわいいだけの文鳥。最期のときまで、ずっと大切にしようと誓った。帰ってきてくれてありがとう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?