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僕がnoteを書く理由

 僕は少し前から、読んだ本の記録をインスタで投稿したり、こうしてnoteを書いたりしています。元々特に何の考えもなく始めたことなんですが、最近自分なりに物事を発信する理由のようなものを見つけたので、書いていこうと思います。

 2021年の6月、僕はひどい抑うつ状態でした。理由は就活でした。社会に出るのが怖いし、責任なんて負いたくないし、面接とか嫌だし、将来社会で上手くやっていける自信がありませんでした。(ちなみに現在はカウンセリングを受け、毎朝ヨガと瞑想をしているのでスーーーパーーー元気人間です。)
今まで何度かうつのような状態になったことはありましたが、これほどまで酷かったのは初めてでした。カウンセリングやヨガなど、メンタルについては別の機会に詳しくお話ししますが、僕はカウンセリングを受けるまでの間の約19年間、ずっと軽いうつ状態が付き纏った人生を過ごしてきました。

 先にも言った通り、今ではスーーパーー元気人間なので、自分のことだけではなく、他人のことを考える余裕が生まれてきました。今になって自分自身の置かれた状況を改めて見つめ直すと、これは本当にありがたいことですが、僕は多くの人や環境に恵まれていることに気がつきました。そして、僕の生まれつき持っている社会的属性、現在持っている属性もまた恵まれたものであることを自覚しています。

僕は男性です。これは、現代の日本社会では(残念ながら)より多くの進学/就職の機会が与えられていることを意味しています。
僕は日本に住んでいます。これは、自然の資源が豊かで、治安が良く、9年間も義務教育を受けることができる先進国に住んでいるということです(あとご飯が美味しい)。
僕は進学校に通い、4年制の難関私立大学に進学することができました。これは、僕が学習塾に通い、必要な教材を買い、高度な教育を受けるために沢山のお金が費やされたことを意味します。

少し考えてみただけでも、僕はこんなにも恵まれた環境で育ち、恵まれた属性を持ち合わせています。このように、一人の人間は様々な属性を持っています。
そして、今僕があげたものは、全て社会の中でマジョリティ(つまり、権力を持っている側)である属性です。
一人の人間は、その中に複数のマジョリティ性とマイノリティ性を持っています。
例えば、僕は「若者である」という点ではマイノリティ性を持っていると言えます(若者は明らかに政治的に弱い立場にあるため、日本社会の中では権力が弱いです)。
日本語では、マジョリティは「多数派」/マイノリティは「少数派」と訳されますが、複数のマジョリティ性を多く持つ人ほど、数としては少なくなっていきます。つまり、死ぬほど多くのマジョリティ性を持つ人はとても珍しいのです(たった26人の富裕層が、世界の半分の富を独占しているのと同じように)。

僕は環境と社会的属性に恵まれています。両親は、僕が今の僕になるまでに(教育投資を含め)多くのお金と時間を使ってくれたし、そこそこの愛情を注いでくれました。
友達は人を信頼することを、彼女は人を愛することを教えてくれました。
僕はお金持ちではありません。けれど、環境に恵まれたおかげで一生懸命勉強に打ち込むことができました。大学の講義や図書館で借りた本の数々からは多くのことを学ばせてもらいました。答えのない問いについて議論をし、それについて朝から晩まで考えることができました。
その中で、多くの素晴らしい知識に出会うことができ、人生を前向きに捉えることができるようになりました。

こんな風に自分自身のことを振り返る中で、ふと
「このような素晴らしい知識の数々を、独占してしまっていいのだろうか?」
という疑問が湧いてきました。

僕が知識を身につけるためには、多くのお金が使われました。
つまり、今の僕が持っている知識は多額の価値を持っています。
しかし、この知識の価値は、いくら多くの人に配っても減ることはありません。
お金が人を幸せにするのと同じように、知識は僕を幸せにしてくれました。
僕は、この世の全ての人の幸福度を(少しだけでも)上げることができて、
それでいて決して僕の手元からは減らない、知識という財産を所有しているのです。


だから、僕はこれを少しでも多くの人に分け与えつつ、ときには誰かから分けてもらいつつ、ときには議論という形で新たな知識を創造していきたいのです。

あ、あといつも小難しい書き方ばっかりしててすいません。
これからはもっと分かりやすい表現を心がけます。

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