宿と運

今日まで生きてきた。
今夜も、ここで生きている。
ドロドロのなかで、モヤモヤに包まれ、時が過ぎる。
たぶん、明日へ向かって、、、

こんな生活も、あらかじめ決められたことなのか、、、
君であるわたしが選んだことになるのか、
人生はセンタク、センタク、センタク、、、聞き飽きたような気がする。
自己責任の人生という。誰も味方にはなれない。近くに友軍はいない、、、
どこかの、誰かの言い訳のようにも聞こえる。

親ガチャ、ガチャ、ガチャ、、、ガチャポン人生。
自己責任のない人生、、、
誰にも、どこにも責任がないならば、ナンニモおもしろくはない。
ゲームそのものが成り立たない。

『宿命』は変えられない。
だから、「親は選べない」と一緒によくいわれる。
『運命』は変えられる、と言う。
そして、いつも「頑張れ」と、よくいわれた。
でも、その根拠はどこにある。
聞いたことがあるか、、、

君であるわたしの「人生」を、
君であるわたしの「命」を、勝手に、もてあそばないでくれ。
「それは、君の感想でしょう。止めていただけますか」

明らかなことを、曖昧にし、単純なことを、おもちゃにしないでくれ。
「宿(しゅく)」と「命(いのち)」。
「命(いのち」がそこに、紛れもなく存在していることが『宿命』。
「運(はこぶ)」と「命(いのち)」。
「命(いのち)」は、ずっと存在し続けていくことが『運命』。

地球には、無限無数の命が繰り返し咲く、温かい大地がある。
宇宙には、太古から、旅を導いてき星座の輝きがある。
君であるわたしが 今この瞬間、見ている、感じているもの全ては、
他の誰も、知らない、知りえない世界。
君であるわたしは、この壮大なキャンパスに入り込み、自由自在にものを描けるただひとりのロード(主人)なのだ。











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