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選択肢の10年先を考える

祖母との会話

3週間ぶりくらいに祖母の家に行った。行ったらいつも、掃除機で掃除したり、鏡を磨いたりと、掃除をする。高齢者の家が独特の匂いがするのは「視力が悪くなって掃除が行き届かないせい」だと思っているので、なるべく掃除はするようにしている。

私が掃除している間、祖母はソファに座って読書していた。もっと若い時は本を読む姿を見たことはなかったが、おばあ友に貸してもらうようになってから頻繁に読んでいるらしい。

祖母が膝を組んでいたので、直接膝を触って、
「足組まないほうがいいよ。」と声をかける。

私は定期的に整体に通っているので、素人なりの知識を持ち合わせており、膝を組むことがなんとなく悪いと知っている。

「足組むと、骨盤が少しずつ歪んでくるんだって。」

祖母はいたずらを見つけられたかのように笑いながら「わかってるんだけどね、つい。」と言う。ソファの座り姿勢的に足を組んだ方が本を読みやすいのだろう。本を持つ手が顔に近くなるように、組んだ膝の上に本を位置している。ならば、とクッションを2つ持ってきて、足を組まない膝の上においてあげた。これで読みやすいだろう。

数分して、また祖母が足を組んでいた。もう!
クッションも外してしまっている。「トイレ行ったから、忘れちゃって。」とクッションを膝にのせて反省している祖母。

80歳から90歳の10年間

そこで考えてみた。祖母はもう80歳だ。もしかしたら”自分の身体なんて、もうゆがんでもいい”という気持ちを持っているのではないか。食べ物もそんなに気を遣っていないようだし、その可能性は高い。
「おばあちゃん、もし今足を組む選択と組まない選択をして、その10年後はどうなってると思う?」と聞いてみる。

「そうねぇ、90歳の時にもしかしたら、あの時足組むことをやめてたらなって思うかもしれないわね。逆の方は、たぶん何も思っていないけれど。」

そうか。よくない選択を取った時は後悔する。たぶん。ただ、いい選択をした時は”何とも”思っていないのかもしれない。祖母に言われて初めて気が付いた。

後悔 or Nothing

ということは、いま何とも思っていないことは、過去の自分が”いい選択”をしたから、後悔もなく、何とも思っていないのかもしれない。

後悔がない、というのは、実はとても素晴らしいことなのかもしれない。

”いい選択”の積み重ねで、やっと何とも思わない現在に至っているのかもしれない。


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