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都会と田舎の情報リテラシーの差

やはり、地域性というものは顕著に出る。

福岡に住んでいて思うことは、九州の中心だからだと思うのだが、比較的若者が多い。天神や博多を見ているからだとは思うが。

熊本に帰ってきて街を俯瞰的に見てみると、若者よりも高齢者が多いのかなと。思った。

若者がより都会を求める傾向はこうしたところに見受けられるのか。

熊本ではパスに乗ったり、路面電車に乗ったりするが、携帯を触っている人は多くない。普通に見ている人もいるが、福岡と比較するとやはり少ないと感じる。

ネット上の情報が全て正しいわけではないが、情報リテラシーというものは、こうした隙間時間の積み重ねや、情報を眺めたり、読んだりする量によって相対的に得ている情報量の差からリテラシーの広がるのかもというかせつがたてられる。

数字的根拠がない時点で、仮説と呼ぶには根拠が薄いが、外から見た雰囲気や見た目による印象も一仮説として取り入れてもいいかもしれない。

田舎に行けばいくほど、ネット環境は薄れてリアルをとにかく重視する。さらに、新しいものは拒み、知識に取り入れようとしない。情報は新聞やテレビといった、真実味をねじ曲げられたメディア媒体ばかりが彼らの情報ソースである。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

という、ビスマルクの有名な言葉があるが情報リテラシーの低い田舎はこの傾向が大きい。もちろん中には情報に敏感で独自のネットワークから最新の情報に精通する人もいるが、そうした人はある程度地位を築きあげている傾向にある。

新しいものばかり求めてもダメだが、そこにプラスして温故知新を混ぜることができれば、これまでの観念にとらわれない新しい見方もできるだろう。

回覧板のような地域性に密着したシステムをテクノロジーで補えるように、かつ情報方蓄積型のビッグデータの集約につなげることができれば閉鎖的な村社会のアウトプットに繋がるかもしれない。

これがマネタイズできればかなり面白そうだ!

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