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星野富弘さんのこと

今朝のネットのニュースで、詩画家の星野富弘さんが亡くなったことを知った。事故で手足の自由を失い、口で筆をくわえて絵を描いていた人だ。

わたしが星野さんのことを知ったのは、中学生の時だったと思う。
自分が怪我をしたから、なのか
その前から存在を知っていたのかは、はっきりとしたことは覚えていない。

***

中学3年生の12月の日曜日、その日を最後にわたしは体操から離れるつもりでいた。
小学校5年生のときから通っていた体操教室のクラブ競技会。その教室は中学生までが対象で、高校受験を間近に控えていたわたしはそろそろ卒業だなと思っていた頃だった。だからこれが最後のクラブ競技会だった。

体操競技は4種目。
跳馬、段違い並行棒、平均台、床
この日の最初の種目は跳馬だったか、だったか。
跳馬からなら、ローテーションは「跳馬→段違い並行棒→平均台→床」
床からなら、「床→跳馬→段違い並行棒→平均台」
このどちらかだったと思う。

跳馬の演技の直前。
「器具にはいります」の挨拶をしたあと、1回ないし2回は、それぞれ練習をさせてもらえる。助走の開始位置や、ロイター版(踏切版)の位置を調整するためだ。
そのグループ(数名)が順番に練習で跳んで、それが終わったら本番に入る。


その練習のときのことだった。
いつもとなんら変わることなく、いつもの練習通りに跳んだつもりだった。が、「あっ」と思った瞬間、黄緑色の着地マットが目の前に迫ってきて
「あっ」と思った瞬間、わたしは倒れていた。

起きあがろうとしたら、腕が…
肘から先の様子がおかしい。

あまりの衝撃に、痛みは感じていなかった。

数人のコーチたちが駆けつけてきて、1人の先生がわたしの脱臼した肘を正しい位置に直してくれて、あれよあれよというまにわたしの左腕は固定されて、病院に連れていかれていた。


日曜日だったので、近くの救急病院だったと思うが、レントゲンを撮る時に
左肘を伸ばそうとしたときに激痛が走り、「骨折していますね」ということだった。

そのあと、どうやって家に帰ったのか
荷物とか着替えはどうしたのか、記憶があやふやだけれど、その日応援に来ていた選手コースの子のお母さんが、いろいろお世話をしてくれた気がする。(その子の名前はうっすら記憶にある)

悔しかった。
最後の試合なのに、得意の跳馬が跳べなかったこと。4種目できなかったから、順位がつかなかったこと。跳馬が最終種目で2本跳ぶうちの1本でも跳べていたら点数がついたのに…とか考えていた。

そのときすぐは、なにが起こったのか分からなかったけど、あとで聞いたことを整理すると跳馬についた手が滑って手から落下したのだった。跳馬の上で倒立の姿勢になるはずだったから、頭が下になっていた。とっさに手は出たんだけど、勢いがついていて全体重を手で支えるのは無理だったらしい。


その日は、母の誕生日でもあった。
帰り道、車のなかで母に申し訳ない気持ちでいっぱいになって、泣いた。
なんで、こんなことになったんだろう、と。体操人生で大きな怪我はしたことがなかったのに、こんなタイミングで怪我をするなんて。


翌日、家の近所の整形外科を受診すると
「上腕骨の骨折。入院と手術が必要」だと言われてしまった。肘を脱臼した時に、腱に引っ張られた骨が分離してしまっているので、その部分をワイヤで正しい位置に固定して、骨がくっつくのを待たねばならない、と。

おそらく相当の痛みはあったのだろうけれど、それよりなにより大好きな体操ができなくなるのが辛かった。怪我をしたのが利き手ではなくてよかったと思うしかない。

人生初の入院。手術じたいはそれほど大変ではなかったと思うけど、入院はつらかった。肘以外はまったくもって健康だから、ベッドで寝ていてもすることがない。ぐるぐるといろんなことを考えては落ち込んでいた。
もうわたしは大好きな体操ができなくなるかもしれない。
それが恐怖で悲しくて仕方がなかった。

そんなときに出会ったのが、星野富弘さんの本だった。

星野さんは、「事故で手足の自由を失った」とニュースなどでは紹介されているけれど、この事故とは紛れもなく器械体操での事故だ。体操が好きで、体操をしている時の事故。その時の様子を著書で読んでいたら、自分の体験とぴったりと重なって涙が出た。その後も星野さんはさまざまな困難を乗り越えて、絵や詩をたくさん生み出してきたのだった。

どれだけの苦労があったのだろう。
星野さんの絵と詩には、その強い思いがにじみ出ている。これを完成させるためにどれだけの時間をかけたのだろうかと想像するだけで、目の奥がつんと痛くなる。わたしなんかたかが肘を骨折しただけではないか。手も足も動くし、利き手は動くんだから受験勉強だってできる。

高校受験のときは、ずっと左肘は曲がったままだったけれど、無事に行きたかった高校に合格することができ、もちろん体操部に入った。
入学したばかりの頃はまだ肘は曲がったままで、ろくに倒立もできなかったけれど、リハビリを続けて夏休みになる頃にはほぼまっすぐになるまでに回復した。少々曲がったままの肘でも倒立することができた。

こんなわたしに大きな力を与えてくれたのは、星野さんの本だった。

***

そして今日、ひさしぶりにこの星野さんの本を読んだ。
また、泣いた。
初めて星野さんを知った時と同じくらい、泣けてきた。泣かないぞ、と思ったけど、涙が勝手に溢れてきた。
一度もご本人にお会いすることはなかったけれど、わたしの人生で影響を与えてくれた人。どうか安らかにお休みください。

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