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あの日から12年。
わたしにとっては、人生の転機となったあの2011年。
直接的には被災していないけれど、思いだすと胸がキュッと痛くなる。

あの時、あんなことがあった、こんなことがあった、
は正直わたしが語れるようなことはないけれど、あのときあんなことがなかったら今ごろ、とちょっと考えてしまう。(ひまなのか、わたし…。いや、そんな暇はない。)

今朝の朝方も、グラグラとした揺れを感じた。
夜中だと思っていたけど、朝の5時すぎだったらしい。
あぁ、3月11日じゃないか…と、ぼんやりとした頭で考えていた。


あの日わたしは、日本海側の街に住んでいた。
隣県の同業者の先生とやりとりをしている最中だった。
2010年の終わりに、事業の立て直しを目指して、整体院にあらたなメニューを加えることにしたんだった。詳しいことはもう思いだせないけど、整体院の経営は微妙だった。赤字ではないけど、確実に貯蓄額は減り続けていて。
どうするの? このままじゃ、だめだよね。
と、どちらかというとわたしのほうが新メニュー導入に前向きで、自分の腕一本で食っていきたい元夫(整体院の院長)は、あまり乗り気ではなかったのだろう。
その「新メニュー」を導入したのが(たしか)3月1日。
これから集客して、どんどん売上あげていこうね!
というそのタイミングで、あの大地震がおきた。ただ、揺れただけなら、まだ良かったのかも知れない。でも最悪な事態になった。

わたしたちに声をかけてくれた、先輩同業者の先生たちは、原発事故の影響で
「もうここには住めないかもしれない」
「奥さんの実家へ、奥さんと子どもたちを非難させた」
と、とてもじゃないがわたしたちの導入サポートなどしていられない事態に陥った。わたしたちもそれは理解したけれど、だからといってわたしたちも新メニューをどう展開していいのか分からないし、宙ぶらりんな状況が続いた。
こんなはずでは…
と思ったけれど、仕方がない。

もっと、大変な人たちがいるのだから。

その後、指導役の先生のひとりが、わたしたちの住む町に移住しようとしていることを知った。まだ若い娘さんがいるご家族なので、放射能の影響を受けるかも知れない土地には住みたくないということだった。
それが後々、トラブルになった。
わたしというよりも、元夫のほうが
「うちの地域に乗り込んでくるのか!」と反感をもったようだった。ようは商売敵になるじゃないか、ということだ。それも、まぁ分かる。うちはまだ新メニューを導入したばかりで、顧客はゼロ、右も左も分からない状態なのに、すでにノウハウも実績もある先生が乗り込んでくるとなれば、顧客を奪われるのでは? と良い気分ではない。けど、だから、どうしろと? と思った。

ただその移住話も、震災直後ではなく数ヶ月後だったはずだから、その頃にはわたしたち夫婦の間にも亀裂が入っていて、整体院は崩壊寸前だったかもしれない。

怒りが収まらない元夫と、平謝りにあやまる先輩先生夫婦、
いくらわたしたちがイヤだと思っても、やめてほしいと思っても、移住話がひっくり返ることはないんだったら、話し合いなんか不要じゃないかと思うわたしとで、なんともギクシャクした人間関係が構築されてしまった。
何時間もサイ○リヤでコーヒー一杯で粘っていたのをうっすらと思いだせる。先輩先生夫婦は気を遣って、会計はこちらで持つからなんでも食べて、と言ってくれたけど、わたしはなにも食べたくなんかなかった。

いまでも、アレは何だったんだろう、と思う。移住してくる話をわたしたちに、どうしろと…。
そうですか、としか思えなかった。ただ一つ残念だったのは、住む場所、お店を出す場所を決める前にひと言、話してくれればよかったのにな、と思った。
別に物件探しのお手伝いができたとは思わないけど、家賃の相場観だったり、エリアごとの特徴(昔ながらの商店街なのか、高級住宅街なのか、とか地元の人ならいろんな情報を持っている)も、ヒントとして相談に乗れただろうになぁ、と。
あちらは、わたしたちに気を遣ったつもりかも知れないけど、わたしたちが嫌だ、と意見したら移住を諦めるつもりだったんだろうか、そんなわけないよなぁ…とモヤモヤ。

出店物件が決まってからの話し合いで、けっきょくのところ、先方の言い分としては
川を挟んで橋を渡った向こう側なのだから、影響ないでしょう、だった(ような気がする)けど、元夫の言い分は、そんなの距離にしたらたいしたことないんだから、なに言ってるんだ、と。実際車なら信号に引っかからなければ5分もあれば到達する距離、自転車でも10分~15分もあれば行き来できる距離だった。
まぁ、どっちもどっちだな。


そんないざこざがあったのに、震災から1年と経たずわたしは離婚して、その土地を離れ
数年後には、元夫も整体院が立ち行かなくなったようで、整体院を他人に譲ったときいた。本人はどこへいったのかわたしは知らない。
どこで、なにをしているのかも、まったく知らない。

震災といって思いだすのは、こんなことばかり。
震災がなかったら…と思わずにはいられないけど、震災がきっかけになっていまのわたしがあるのは間違いない。

直接被災された方たちと比べたら、ぜんぜんたいしたことないけど
わたしにとっての東日本大震災の記憶はこれ。
被災地の復興はまだまだだときく。オリンピックなんてやってる場合じゃなかったんじゃないの? と思うがそれはいったんおいておきます。

すこしでも協力できることを、していきたいと思います。

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