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20240207 Maria Ramersdorfへ

マリア・ラーマースドルフ
バイエルン最古のマリナリア
マリア・ラーメルスドルフはバイエルン最古のマリア廟である。 早くも1000年頃には、ルモルト家に属する「ルモルトスドット」と呼ばれる集落があった。 14世紀の初めには、すでに活発なマリア巡礼が行われていた。 バイエルン皇帝ルートヴィヒが狩りの最中に急死した後、十字架の本物が入った金メッキのクレタ島のペンダントを身に着けていたと言われている。 この十字架がラーメルスドルフに伝わり、聖十字架巡礼が発展し、時にはマリエンウォール巡礼を凌ぐほどの重要性を持つようになった。 贖罪の日には巡礼者たちが十字架に接吻したが、今日では祭壇の上に置かれている。 ロマネスク様式の小さな教会は、やがて巡礼者の流れに対応できなくなったため、新しい教会が建てられ、1466年に聖別された。 今日、壮麗な彫刻が施された祭壇の中央にある奇跡的な聖母坐像も、後期ゴシック時代のものである。
特に三十年戦争の恐怖は、巡礼のためにラーマースドルフに人々を惹きつけた。 南礼拝堂の
南聖堂の壁にある42人のスウェーデン人の人質:1632年、スウェーデン王カール・グスタフがミュンヘンの略奪を許さないために30万ライヒスタラーを要求したところ、全額を調達することはできなかった。 スウェーデン軍は
人質42人は、消えた金の担保としてアウクスブルクに連れて行かれた。 そこで人質たちは、無事に帰還したらラーメルスドルフに巡礼することを誓った。 3年後に帰国した彼らは、この絵馬を寄贈した。 しかし、40人の人質が取られただけだった。 2人が行方不明になった: 人質の一人は自殺し(交渉のためにミュンヘンに送られ、帰らぬ人となった)、もう一人はその間にプロテスタントに改宗していた。
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ヌテッセ・ラーマースク(Nutesse Ramersc m hub in about f
特に)
パトロジールより

派手な感じで黒ベースの祭壇です。
いつも高速に乗る時に見える教会。今日は鬱蒼としています。
駅から少し歩きます。このあたりは少し緊張感が必要な所
こちらが伝説の絵
この雰囲気!エラスムスグラッサー好きになりました。
豪華な教会ガイドが売っていましたが、今回は未購入
ドイツの文化は木彫り…と言っていたドイツガイド萩原さんを思い出した。

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