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「すべての子供のすることは、子供なりの目的があることを念頭に置かなければならない」

タイトルは、「保育要領ー幼児教育の手びきー」からの引用です。
子どもとの関わり方で「保育要領ー幼児教育の手びきー」は今でも大変参考になります。保育要領は、悲惨な太平洋戦争が終わって間もない1948年に作成され、文部省が出した幼児教育のガイドブックであり、戦後幼児教育改革の礎となっています。今、読んでも全く古くさくなく、むしろ子どもの成長のために輝きを放っているかのように思えます。
 策定に大きく関与したのは、CIE(民間情報局:GHQ(連合国司令部)の部局の一つ)のヘレン・ヘッファーナン氏でした。彼女の教育観は、プラグマティズム思想家のジョン・デューイの影響を受けています。デューイの教育観は、彼の有名な言葉”Learning by Doing(なすことによって学ぶ)”が象徴しているように、興味や関心にしたがって、まずは体験し、そこから内省し、知恵を引き出して成長していくことに価値いています。
 ちなみに、デューイの思想は、ビジネス現場の教育でよく引き合いに出されるコルブの「経験学習論」の源流です(人の成長や発達の理論は子ども、大人関係なく繋がっている!)。

今回は保育要領の一部である、「三 幼児の生活指導」の「2 知的発達」の一部を紹介します。

1 すべての子供のすることには、子供なりの目的があることを念頭におかなければならない
子供が一生懸命になって何かをしている時、大人の目から見ると、一体何をやっているのかわかったり、誠につまらないことをやっているように思えることが多い。(中略)。子供が一生懸命になって作る土のだんごは、おとなの目から見るとなんだか得体のしれないものであるために、なんだこんなものと思ったり、子供をからかったりすることがある。しかし、子供のしていることは子供にとっては真剣な仕事でありはっきりした目的を持っているのである。子供には子供としてのつもりがあり、目的がある。この子供の心に有る目的にそって、子供が自分の考えを発表するようにさせることが子供の心を成長させる道である。大げさに言えば、計画的能力の発展であり、このような計画的能力こそ知的成長の最も大切な基礎である。このような意味でまず、子供には子供のつもりがあり、目的があるということを、何よりも先にはっきりと理解し、これを成長させるように子供を導いていくべきである。

「保育要領ー幼児教育の手びきー」

行政文書ではありますが、情感に働きかけるような文です。知的な成長を促すために、子供の行動の背景を理解することの大切さが述べられています。大人になると、常識や形式美にとらわれて解釈し、土だんごを多面的に感じるのは難しいです。
子供には何らかの意図があるのに、作った土だんごをけなしてしまうと「否定された」、「何か違うことをしてしまった」という感覚が起こり、不健全な自我を育むことに繋がっていきかねないでしょう。

遊びを通した学び

最近(2024年3月)、文部科学省が「遊びは学び 学びは遊び “やってみたいが学びの芽”」という動画コンテンツを作りました。コピーが素晴らしいと思いました。

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/youchien/mext_02697.html

この動画の意図は、幼児教育と小学校教育の一貫性や円滑な接続で、幼児教育での遊びからの体験を小学校の教育現場で活かすヒントとなっています。
ただ、残念ながら、幼稚園が合わず十分に遊びを体験ができなかったり、特性上難しい子供がいるのも事実です。
その子供が幼児期を過ぎてしまったとしても、大人は「つもり」を理解して、遊び体験ができるよう環境を整えることが大切になるでしょう。遊びで「感じる」「気づく」という身体的な経験は、小学校の教科の場面での腹落ちして「わかった」を拡張していく土台となります。
幼少期に遊びの経験が不足していると、知的に発展する基盤が不安定になります。そのため、物事がしっかりと理解できたり、「できる」と感じることへの障壁となる可能性があります。
子供の発達支援に関わるには、しなやかな感性をもち、子どもと相互作用できれば、楽しい創造的な営みがあるように思います。そのことは、お互い健全な自我を育めるように関わりたいです。


<参考文献・サイト>
荒井洌1948年・文部省『保育要領―幼児教育の手びき―』を読む(2020),新読書社.





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