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「部屋とYシャツと私」
という、歌もあったが

「安心と不安とあたし」
なのである

「不安が起こる」
その感情に、さまざまなモノをくっつけて
カラダ全体が「不安な状態になる」

(南の海の雨雲が
 あったかい空気を取り込んで
 大きな台風になるように)

・・・・・・

そういえば
秋の空を見上げながら

アタシは30歳と48歳と
2回、職替えをしてるのだが

「あまり詳しく知らないから出来た」
のかも、知れない

と、思ったわけだ


かなり、その時の
「ノリで」かもしれない

「かなり、無謀だったかも知れない」
(今の自分なら、やめとけ!と止めるだろう)


何が?
ちがうんだ?

ひとつには
知識の量のような気がする

知識量がなかったから
そんな無謀と思えることを出来た
のでは、ないか?

とか、感じるモノである
(火傷を知らない子供のように)


今は、「コワイ」が先に立つのが
現実だったりする

・・・・・

知識を知って
アタシは「安心」もするが

その知識を知ったコトによって
アタシは「不安」にもなる
(上手な状態と下手な状態を知ってるし)

安心と不安は表裏一体の関係

それが同時に起こっている
(生きると死ぬが同時に起こっているように)

・・・・・

アタシが安心したくて
知識をあつめれば、集めるほど

(簡単に集められる環境は整っている
 ウソもマコトも)

同時に、潜在的に
不安も大きくなるのかも
(予想される危険情報を、知識で知っているので)

とか、思ったわけだ

「U-mu、人間はめんどくさい」

・・・・・

現代の1日に浴びる情報量は
平安時代の一生分と聞いたことがある
(かもねー)

それで、そろそろ
知識のコレクションをやめて
知識のセレクションを開始しなくっちゃね!

とか
思うのであります

そのためには、まず
何が必要だっけ?

とか、
鰯雲に聞いてみるのであった

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