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自分を痛めつける自分
自傷行為
しあわせになってはイケナイ


「ワタシには、幸せになる資格がない」


価値がない感覚をいだくことについて
堂々巡りでちっとも先に進まなかった


価値ってなんだ?
価値のある存在とは?


いくら、頭で
「価値がないと思うなんてバカげてる」と思っても

「だねーだねー」と同調しても
納得度60%


目を背けている
何かがある


===========
無価値感の底にあるものは
===========

「ワタシには、幸せになる資格がない」という
罪悪感をともなう、愛される資格がない感覚
であった


きっと、誰でも
墓場まで持っていくことが
ひとつやふたつあるだろう

ワタシの場合は、
(数えると6個ほどあった、多くね?)


なので、

それは、ないことにして
忘れてしまおうとしていた


===========
すべての傷を受け入れて
正しく見る必要がある
===========


そこで、問題なのが
しっかりとその起こったことを見ていないこと

「自分が悪かった」
「自分が逃げた」
「自分が殺した」
「自分が騙した」
「自分が利用した」
「自分が勝手だった」


そう、一方的に思い込んでいた
一つの側面を誇張して処理した

そうすることによって
悲しさにケリをつけようとしてた

加害者として
自分をポジショニングすることで
被害者としての自分を演出した


そして、自分を
「幸せになる資格がない」存在として
無意識に痛めつける


いつか、エゴにまみれた自分がバレて
捨てられる


なので、
本当の自分を出してはいけない

そのままの自分は
愛される存在ではない


だから
すべてにおいて
条件付き

交換条件として
何かを差し出さないと
愛されない


なので、
今のしあわせで、もう十分すぎて
もっと豊かに、幸せになることは
赦されない


もしも、
明日、
捨てられることになろうとしても
文句は言えない



そして、
その裏側で
「だいじょうぶ、君は悪くない」と
言ってほしかった



===========
そして、再生する必要がある
===========


自分を痛めつける人生から
自分を楽しませる人生に


しっかりと起こった現実を見る
勇気を出して見てみる


すると


「自分が悪かった」
「自分が逃げた」
「自分が殺した」
「自分が騙した」
「自分が利用した」
「自分が勝手だった」


は、すべて
一側面だったことに気づく

墓場まで持っていくことなんて
一個もなかった


陰と陽
それが全てではない

ひとりでやったことでもなく
相手がいること


でも、
そう捉えて


加害者として
自分をポジショニングすることで
被害者としての自分を演出した

自分がいるだけだった


とすると、
次は決意と覚悟だ

「いまでも、加害者であり、被害者の自分に酔っていたいかい?」

「それとも?」



#57歳 、初老、諦念間近 これからでも遅くないですか?自分を生きていいのですか?
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