教育用語の定義について

例えば、みなさんは「教育」「学習」「勉強」「成長」というこの4つの語それぞれに、明確な違いをつけて話していますか?この、似ているようでかなり異なる(漢字は一つも同じじゃない!)言葉を、きちんと使い分けていますか?

今回の話は、これらの言葉の定義を明確にして話そうということではありません。ここで私の言いたいことは、これらの定義の仕方が異なる人と出会った際に、皆さんがどういう反応をとるのかという点についてです。

他人の定義が間違っていると非難する人はさすがにいないでしょうが、それでも、他人の定義が自分と異なる時、「この人の定義は自分でいうところの○○だ」とか「この人の定義はすてきだな」というところで終わってしまうことが多いと思います。

しかしそこで大事になのは「どうしてこの人はその定義の仕方をしたんだろう」と考えることだと私は思います。それぞれが経験した教育と、その教育の受け取り方によってそれらの定義はできるので、その定義の裏側を見ることはすなわち、その人の教育の裏側を見ることにつながります。そしてそれを知ることで、自らの定義をさらに多面的にしてくれます。

その様な多面的になった教育の定義で、なるべく多くの人を巻き込み、なるべく多くの人を救えるような教育ができればいいなと思います。

FEIS運営 稲澤

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