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依存

セルフチューニングを始めて1年以上が経った。
今まで蓋をして存在をないものとしていた自分の心や感情は、
気づいた時には溜まりに溜まり、発酵し、圧縮され、ヘドロが乾ききり
化石のように所々異物を含みながら硬い層を成していた。

心を入れ替えるように一気に一掃することなど叶わず
(違う人間になるってこと。そんなことできたら怖いよね、とよく言われた。)

できることは、コツコツ コツコツ
嫌いな自分のまま、自分の声を聞いて、自分の好きなことをすることだけだった。

もがきながらも、時たま絡まった過去の想念がドバッと涙と共に体から排出されると今までに感じたことのない心の軽さに出会い病みつきになった。
1年でどれだけ泣いただろうか。
硬い殻を毎日カチカチ削り剥がしその厚さに絶望し、手強い異物を前に諦めそのままにしたり。不意にその回収の日がやってきたり。
絡みついた紐を解きながら頭を抱えたり、瘡蓋の下から出てくる膿の多さや自分の情緒不安定さに引いたりしてきた。

1年経ってもまだ泣けるが、溜まった古い障害が減り
「今」生まれるフレッシュな感情を感じられる快感に
私は前のように自分に嘘をついて蓋をすることはできなくなった。

その後
最近は、自分の中になった大きな透明の大枠の存在に気づき、それがパカっと外れる感覚が起きるようになった。

今朝は「私は家族に依存して欲しかったんだ」と気づき泣いた。


半年くらい前「私は母親と共依存だった」と気づいたことがあった。
大きな絶望だった。

罵り合いながら離れる選択肢をとれず毎日を過ごす両親を見て、共依存だと見下していた。私はあんな風になりたくない。
父親のように高圧的にも、母親のように悲劇のヒロインにもなりたくない。
あんな家族は作らない。

そう決めていたはずなのに、父親の生きるルールをコピーして、かわいそうな母親のお世話役を自ら買っては疲弊して夫と子どもに爆発していた。

恥ずかしかった。偉そうに人の役に立ちたいと私が何を言っても、毒親育ちで共依存のアダルトチルドレンですと自分で宣伝していたようで消えたくなった。

私が今まで頑張ってきたことの本当に全てが「母親のようになりたくない」という恐れからきていたのだと知ったのはもう少し前だったか。

ずっと、目を合わせることも、体に触れることも、思ったことを話すこともできなかった。一緒にいると妙に苛立ち、距離を置く直前は会うと具合が悪くなった。
どうして妹のように、母と普通に会話できないのだろうか。悲しかった。

しばらく連絡しないでほしい、とLINEで伝えた時
「お母さんを責めてるわけじゃない」と嘘をついた。
その時には死ぬほど責めて恨んでいるとわかっていた。でもまだ、嫌われるのが怖かった。

母親へ注いでいたエネルギーや受け取るストレスから離れると、私の心は自分に集中できるようになっていった。

過去の両親への恨みを吐き出すと、よく「お父さんとお母さんのこと大好きだもんね」と言われた。わからなかった。好きじゃない。大嫌いだ。死ぬほど憎んでる。

でもそれを続けていたら、本当は好きだったのだとわかるようになってしまった。
どうして傷ついたのか。どうして絶望したのか。どうして恨んだのか。
好きだったからだ。

でもそれがわかった今も、連絡は取っていない。
また傷つくのが怖いのだ。
今年のGWも帰省しなかった。お正月も顔を出さなかった。今はその私を許している。

このGW中、暇で家族5人が家にいて
食事が済めばすぐに部屋に戻ってしまう子どもたち
5人揃っているのに団欒もなくそれぞれが画面を見ている姿に落ち込んだ。

期待しなければいい、とか自分が好きなら自然とできるはず、とか
自分が思ってるだけでみんなは満足してる、幸せかも、とか
上辺だけのあれは要らなくて

私は何が悲しいんだろう 何を望んでるんだろう
とひたすら聞いた。

GW中はその答えは上がってこないまま
喉がつかえそうな気持ち悪い時間を過ごしながら
その都度「暇な人手伝ってー」とか「私もやーすも」とやっていた。


そして今朝
「私は家族に依存して欲しかったんだ」
と答えが返ってきた。

家のことちゃんとやってるお母さん
子どもの話に耳を傾ける、応援してくれるお母さん
家族に楽しいイベントを提供するお母さん
家の太陽のようなお母さん
かわいい妻・機嫌のいい妻・無駄なお金は使わない妻・自分のものは自分で買える妻
おいしいご飯を用意する妻・お母さん


ね、だから私に依存して?
頑張るから。
私のこと必要として。
ひとりにしないで
ずっと一緒にいて

眉間に皺を寄せて、口をへの字にして泣いてる鏡の私

依存してほしかった
寂しかった
その方法しか知らなかった

自分がその方法を採用してるなんて知らなかった


ひとしきり泣いたら、透明の枠がパカッと外れた気がした。

ちゃんとやる私に依存して。
「どうして私ばっかり」って落ち込ませて。
大変そうにしてたら心配して助けてくれるでしょ。
そうやって依存し合って家族でいられるんでしょ。

飛んでけー。



ただ、
そこにあった朝の食器を
洗った

リビングに
掃除機かけた

みんなが着た洗濯物を
洗って、干した

シンプルだった。

絡みついていたうす透明の世界が消え
その家事が本来のものになっていく。


こんなに簡単な家事に、
こんなに時間があるのに、
どうしてこんなに気持ちが重くなるのか
どうして私はこんななのか

そんな風に落ち込むことはもうないだろう。

きっと悩んでいたことも忘れてしまうから、書き残しておく。

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