見出し画像

3. いま思っていることを書こうかと。

この文章を書きながらこれからのことを考えてる。
これからのことを考えたって仕方ないんだけどさ
なんだか不安にあるときってあるよね。

それが自分の場合は親どうすんの?ってこと。
どうすんの?って考えても答えなんて無いんだけどね。
だけどぼんやりと考えることはまあまあある。
オフクロは施設に入居しているからいいとしてもオヤジのこととかお金のこと。
いろいろ考え出すとタメ息しか出てこないんだけれどもさ。

まあでもね。
今までなんとかなってきたんだからなんとかなるでしょう、なんていうことをここで吐き出していると不思議となんとかなるんじゃないかなという気持ちになってくるからこういう気持ちは大事だ。
根拠のない自信でもいいから大事にしていこう。

振り返ってみれば突然介護生活に突入して今の今まで来ているけれども、
オフクロが要介護4になって思い出すのも嫌な在宅介護していたときに
かかりつけ病院の相談員から
『お父さんちょっとおかしくないですか?』と言われたときには頭が真っ白になったよ。
『え?ってなに!って!』『終わった…』
いやいや待ってくれ、まだ始まってもいないのに終わるのか?と
ほぼほぼ介護ニートみたいな生活をしていたから自分自身は始まった感すらもないんだがどうするんだ自分?と
悪いけどその瞬間は家族のことを考えている余裕なんてなかった。

当時はずっと在宅介護に限界を感じていた。
自分はオフクロを入院させて欲しいと病院側と相談を続けていよいよ入院の日程が決まったタイミングだった。
『やっと自由になれる。』と考えていたときだったから、あの瞬間は間違いなくぶっち切りの人生ワーストだ。

おまけにオヤジのカードローンが発覚。
たぶんあの時のオヤジはもうお金の管理をするのが難しくなっていたのではないのかなと。ただそれはオヤジの認知機能の問題が多少は原因であったのかもしれないにせよ、我が家の在宅介護のそのときの現状が酷すぎて自分ですら頭がおかしくなってたからね。
そりゃあオヤジだっておかしくだろうなるさ。
だから今となって考えると仕方のないことで、これに関してはオヤジを責めるべきではないなと。

そしてカードローンの方はどうやら毎月の家賃分の残高が不足していたようで不足分はそのまま銀行からの融資扱いになって口座から引かれていたよ。
そのときの自分の記憶では通帳の残高がマイナスになっていた。

もう少しで介護からの解放ってときに希望が見えた瞬間、海底にまた引き摺り込まれるようなあの感覚は最悪としか言いようがない。
もうあの感覚は二度と嫌だ。

ただそれも最近になって記憶を整理して考え直してみると、あの借金のおかげで認知症の両親と自分を含めた一家家族が住居から放り出されずに済んだのだぞ、とポジティブに考えるようにした。
当時はとても大変だったけどね。

今日もたくさん書いたなと。
だけど読み返してみると内容が結構支離滅裂。
そりゃあそうかもね。
だって今自分が思っていることをそのまま文章に吐き出しただけだからね。
ま、こんなときもあるよね。

ただ自分はとってもスッキリしたよ。

今日はこれくらいにしようかと。
ここまで読んでくれた方、ありがとう。peace✌️






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?