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人のせいにしてしまうと起こる望まない現実

今日は多少厳しいことを書こうと思う。
これにおいて、あまりという方はスキップしてもらいたい。
ただ何か気になる方は読み進めてもよいかもしれない。

人に話を聞いてもらって一時的によくなることはあるかもしれないけれども
それだけでは、またなにか不安が襲ってきたときに自分では対処ができなかったりする。
それではいつまでたっても現実が変わらないどころか、話を聞いてもらった人に対して甘えが生じることもある。
大丈夫だといったから、信じていたのに!と
結局現状が変わっていないのであれば、もしかしたらまだやれることができていないということかもしれない

なにも救いがないと思っているとき、心は今の現状に満足はしていない、苦しい状態だ。
例えば、現実的に考えたときに「本当はこうしたいのに、お金がないからできない」といってみたり
それだったら仕事をすることもできるのに、したくないからやらなかったり
そしてどんどん現実は腐っていくようになり、なんて自分はダメなんだろうと思ったりする

でも、実際頼れる人が自分しかいない場合というのはそうではいられない

そうじゃないときは、自由にはできないけれど必要最低限の生活費はあって
そして仕事を嫌ならば辞められる逃げ道があったりもする
そうすると仕事もしたくないし、かといってこの現実が本当に望んでいるわけではないから生き地獄のようにも感じたりする

そんなときはふと考えてほしい
自分がいかに恵まれた生活をしているのかということを。
地球に住んでいてあなたが比べている人たちは、あなたの周りでの話であったりメディアに取り上げられるきらびやかに切り取った一部に過ぎないのかもしれないということを。
そしてたくさんの人や子供たちが食べるものに困って路上で生活をしていたりそして学校もいけていない子供がたくさんいるということを。

不平が心にあるときは自分の頭はとても視野が狭くなるものだ
理想が高くて、こうであるのに、できていない自分を責めたり
また間接的にそうなってしまった要因の親を責めたり、なにか人をせめてしまったりもする

私自身が同じように苦しんだように動きたいのに動けないときには、必ず、甘えられる環境があるということ

それがないならば、生活をしなければいけない、誰も自分を助けてはくれないから食べ物に困らないように生活の基盤を維持するためになにがなんでも働かなければいけないということ。
日本には案外そういう人が多いのかもしれない、何もしなくても養ってくれる親がいるということ、社会にはでなくても許される現状があるということ、

ただ、もし今のいる環境が、全てにおいてもういやだと思うのであれば
行動するしかない。運や縁というのもあなたがそこから動かないかぎりは
運んできようがないからだ

結局は、自分の心がさあ!やるぞ!という気合

そして起こることすべてにおいて覚悟を決めてしまえばよかったりする

それは、自分が選んだことは、良いことも悪いことも自分の責任だという覚悟。それがないと望まない結果になったときに人のせいにしてしまうことになりかねない。

例えば仕事を選ぶにしても、本当はそこに行きたかったのに自分にはできないとあきらめて自分から断ったり、そもそも受けることをしないこともあるかもしれない

本当はしたかった挑戦したかったのに、、
じゃあなぜしなかったのか

自信がなかったから、親がやめろ、お前には無理だといわれたからと

結局親に何を言われようとも、誰かになにかを指図されようとも、それは自分で決めたことだ。そして自分で決められることでもある。

結局なにかを人のせいにはできるかもしれないけれども、自分に自信がないことをいつまでも人のせいにしていたら、自分の人生が、自分の望まないものになってしまう。その人生を変えたいのであれば、まず親や甘えらる存在、自分になにかマイナスなことを言ってくる存在から離れること

そして離れることができないというのであれば自立にむけて動くこと

まずは、生きがいのある仕事じゃなくてもいいから、動いて一人で自立するために資金をためること

それをするのはめんどい。

そう思うかもしれない。
それであればまだ、自分は本当に困ってはいないということかもしれない。

本当に人は今の現実を変えたいと望むのであれば、なにかがおかしい、それは人のせいなのか、はたまた人のせいにし続けて現実が変わっていないのであれば、なにか自分を見直す機会なのかもしれないということを。

一度周りの自分の人生において不平不満を言っている人は
誰かのせいにしていないか見てみると自分の問題が見えてくるかもしれない

私自身そのように、動きたいのに、動けないそんな時期があった苦しみがわかるからこそ、自分の力で変えられることをどうか知ってもらいたい。

(またここにおいてあげたことは、動けない病気を抱えている人などは、現状を維持するので大変なことがあると思う。私自身病気を患っていたからよくわかることもあるし、あきらめなければいけないことがあることもわかるつもりだ。また自分だけではなくて、誰か人の面倒をみなければいけないということもあったりする。ここで書いたものは、すべてのケースにおいてに当てはまるわけではけしてない。
もし自分が動けない理由があり、こうだから動けない!という理由が正当なものであれば、自分の心がわかるかと思う。それが果たして言い訳なのかということを。そしてまた一生懸命に動いているのに現状が変わらないというケースにおいてもまた違うことがあったりするので、混同はしないでほしい。)

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