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過去と未来、若者と年長者

   年長者は、若者の知らない時代を生きてきた。
  だから尊敬すべきだ。
 若者は、年長者の知らない世界を生きていかなければならない。
  だから大切にすべきだ。
 ともに互いが知らない時代を生きるもの同士。
  何の優劣があるだろう。


ふと、こんな考えが頭に浮かんだ。

若者も少しずれてはいるが同じだけの時間をを生きる。
若者は、まだ年長者がまだ見ぬ時代を生きていかなければならない。
そして、過去の伝統を生かして新しい伝統を作っていかなければならない。

年長者は自分の生まれる前のことを知っている。
自分よりも多くの経験をしている。
若者も敬う必要がある。
自分がいなくなった後のことを知る。
自分がいなくなった未来の多くのことを経験する。

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そもそも未来よりも過去の方に目が向くのはどうしてだろう?
過去は確かさを持っているから?
変わらないから安心?
未来は不確か?

現在とか過去とか未来とかの言葉ができてしまって、その区切りで物事を考えるようになったから?
意識の注意が、過去に向くと、未来への注意が疎かになる?
確かに、私たちの注意は、区切られた範囲の一つにしか焦点を向けられないのかもしれない。
過去の話と未来の話が、頭の中で別々になって、一方からもう一方に移った途端、前のことは忘れて今の目の前の事で理屈を作ってしまうのも、それが理由?

いつから、未来とか過去の間には、越えられない溝ができたのか?
いや、物事を分けるのは人の性。
分けたことが悪いわけではない。
混沌のままでは、どこに注意を向けていいのかわからない。

だから、分けた後が問題。
どちらがどうだと優劣をつけるべきものではない。
区別は、分けたものの互いの長所と限界を意識しながら使い分けるために設けられた。
そう、あらゆる区別は、互いを協力して使うために人間が作ったものかもしれない。

私たちは、日本の昔の偉人と言われる人のことを想像する。織田信長、坂本竜馬、聖徳太子・・・。その時、その偉人達も自分と同じことを知っていると無意識に考えている。
しかし、かの人々は、日本が始めて外国との戦争に負けたことを知らない。
自動車が走りまわる世界を知らない。海や大気が、人の活動で影響を受けて、魚を自由に食べたりすることもできなくなるかもしれないこと、天気が異常になることも知らない。月に行った人がいることを知らない。
その人々が今を生きていたら、どんなことを教え、どんな行動と発想をするだろうか?
でも彼らはもういない。
私たちが考えるしかない。
私たちは、昔の偉人たちに甘えてばかりではすまない。
私たちも真剣に考えなければならない。老いも若きもいっしょに。

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