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2020年は無から形へ

こんにちは、はのめぐみです。JX通信社でアプリのデザインをしています。前職キッチハイクから転職して、2ヶ月近く経ちました。今年は自分にとって節目にあたる年なので、1年を振り返ってみることにします。

カンファレンスの CI / VI デザイン、からの中止

日本で React コミュニティを盛り上げるために、有志によって React Japan User Gourp が立ち上がりました。その後、今年の3月21日に React Conf Japan の開催の目処がたち、チケットの販売までこぎつけました。

私は年明け頃からロゴ、メインビジュアル、Web サイトのデザインに着手しはじめました。「React らしさ・日本らしさ」を表現するべく、2週間ほどかけてビジュアルをつくりました。一からビジュアルを担当したのは、実はこのときがはじめてです。

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上の図はデザインを Slack に投稿したときのキャプチャです。運営メンバーに喜んでもらえて、とても嬉しかったです。このときほど「デザイナやっててよかった」と幸せな気持ちになったことはありません。はじめてのロゴデザインはとても思い入れがあるし、今見返しても人に言いたくなるくらいにはお気に入りです。

まだ何もない、まさに「無」の状態から「形」にできた出来事でした。

しかし、世の中の状況を踏まえてイベントは泣く泣く中止に。いつかオフラインで開催できる日を楽しみにしています。

"We" のデザインを自分のことばで語る

キッチハイクには4年間在籍していたのですが、前半の2年間はデザインについて語れる余裕がなかったように思います。初めてのアプリ、初めてのチーム、初めての会社。必死で頭と手を動かしながらデザインをしていました。語れるだけのことばが自分の中になかった、と言った方が正しいかもしれません。そういう意味では「無」でした。

スタートアップという扉を開くと、自分よりもっと若くて優秀な人達がたくさんいます。そして、タイムラインには輝かしいデザインの実績がたくさん流れてきます。そういう現実と向き合いながら自分の市場価値もわからない中、一人目のデザイナとして働いていました。デザイナだと名乗るのが後ろめたい時期がずっと続きました。

3年目の2019年から、登壇の機会もいただいたこともあって少しずつ "We" のデザインを語れるようになってきました。デザインシステムの話チームの話ことばのデザインの話。キッチハイクで積み上げてきたことが、ようやくことばにできるようになった年です。「形」になってきたと言えるかもしれません。

今年はキッチハイクのデザインについて note にまとめました。今思えばちょうど最後の年にあたります。この note は、転職を決断する約半年前に書いたものです。

「キッチハイクらしさ」を語るには、チームとしてどうありたいか、「キッチハイクさん」の人格がメンバーの中に形成されて初めて可能になります。

個人としてデザインを語れるようになっただけではなく、4年というを歳月かけ、キッチハイクの世界観が「形」になった年でもあったと思います。

ソフトウェアデザインとは何か、という問い

きっかけや理由は忘れてしまったのですが、オブジェクト指向に興味を持ち、上野学さんの記事を読み込んで勉強していた時期があります。ソフトウェアデザインの基礎として、いつしかチーム内に共有したいと思うようになりました。

そんな中、チーム内では Figma の使い方を含めたデザインの勉強会の機運が高まります。デザインの当たり前をチームの当たり前にするため、勉強会を主催しました。

インターフェースデザインにおける原則として、勉強会の内容をまとめたのがこの note です。

この頃から、アプリの UI デザイン = ソフトウェアデザインとして強く意識するようになりました。

UI デザインは、スタイリングやレイアウトなどの表層的なアプローチにとどまりません。戦略や要件におけるオブジェクトを抽出し、構造的情報デザインに落とし込みます。そうしてソフトウェアの観念的な「形」となったデザインは、コードに融け、実在するプロダクトとして世に放たれていきます。

今までそれと意識せずやっていたことが、自分の中で軸足として定まったように感じました。

その一方で、note にまとめた内容はいわば「教科書的」であり、他の人が語っていることを引用しながら体裁を整えただけに過ぎないと感じています。もちろん当時の私にとっては、学んだことをアウトプットする意味では重要な通過点でした。note の公開から1年近く経過した今、ここで書いたことは最低限抑えるべきマナーとして根付いています。

この半年間、教科書的なラインを超えた、さらにその先があるような気がしてなりませんでした。その先とは、「ソフトウェアデザインは何か?」を自分のことばで語れるようになることです。

この問いは、UI デザインを専門としている私にとって「デザインとは何か?」を語ることと等しいです。後の転職の動機にもつながっていきます。

精神的な「無」を迎えた

ここで、個人的な話をします。

実は、前職で3年目を迎える頃、自分の中で異変が起こっていました。ある出来事をきっかけに、まるで糸がプツンと切れたように仕事に情熱が注げなくなったのです。たまたま28歳の自分の誕生日だったので、よく覚えています。

この感覚を相談できる人が周りにおらず、「情熱を注げない自分」を悟られてはいけないと思い、情熱があるふりをして何とかやり過ごしていました。それでもデザイナ個人としては成長していたと思います。だからこそ、今まで積み上げてきたものをことばにすることができていました。

無理をしていた自分に、ついに自分自身からアラートが発せられ、去年の夏から体調を崩してしまいました。そんな状況でも React.js Meetup に登壇してデザインシステムの話をしました。準備めっちゃ大変だった。よく人前で話せたな、と今でも思います。

その後は省略しますが、ついに限界が来て今年の夏に「無」を迎えました。体調を崩してちょうど1年経ったころです。

「無」とはいえ、デザインそのものに対する気持ちは変わらずで、一刻も早く復帰したいと思っていました。休養中にこんな note も書きました。普段仕事で関わる機会がないグラフィックデザインに触れたときの話です。

色々辛かったのですが、その中のひとつに「人に理解してもらえなかったこと」があります。人はどうしても自分が体験したことでしか物事を理解できません。それが相手の表情やちょっとした相槌の仕方、ふとした言葉選びから伝わってくるのです。自分が体験してないことは理解できないのだと、身を持って感じました。「無」を迎えた人のことは、やはり「無」を迎えた人にしか分からないのだと。どうしようもない隔たりを感じることが何回もありました。一度相手と隔たりを感じてしまうと、もう以前のような関係を作れないと感じる自分もいました。

こうした自分の負の経験から、なるべく相手を受け入れ、尊重しながら自分を伝えられる人間になりたいと強く思うようになりました。相手のいいところや素敵なところは素直に言葉にして伝えたいとも思っています。自分の身の回りの人には笑っていてほしいからです。

去年の夏から今年の夏にかけて、とても忘れられない経験をしました。自分自身からのアラートにいち早く気づき、時間をかけて心の整理ができたのは良かったです。いくつかの極めて個人的な問題も抱えていたので、自分が前に進むために、いつか向き合わないといけなかったのだろうと思います。

そのおかげで、今はすっかり元気です。
以前よりよく笑うようになりました。これはマジ。

キッチハイクを退職した

よりソフトウェアデザインができる環境を求めて、今年の10月24日をもって4年勤めたキッチハイクを退職しました。キッチハイクで過ごした時間は、全て私の一部になっています。ここでの4年がなければ、今の私はいなかったでしょう。

ときどき、転職先の JX 社で「キッチハイクさん」の人格を地で行くような接し方をするときが本当にあって、自分でもびっくりすることがあります。

「キッチハイクさん」という人間は存在しないし、サービスの人格も「そう振る舞いたいと複数の人間によって作られた概念」です。ミームにしか過ぎない概念が一人の人間を変えるということは、そこには「複数の人間の意思」という名のゴーストが宿っているんでしょうか。

JX通信社に転職して「形」をつかんだ

転職してから、長い間 Amazon の欲しい物リストの中にあった『クリストファー・アレグザンダーの思考の軌跡』という本を買いました。

アレグザンダーは、すべてのデザインに共通する最も確実なこととして


デザインの究極的な目標は「形」だ

と表現しています。

「形」には目に見えるモノや触れられるモノだけではなく、構造や仕組みも含まれています。例えばコミュニケーション・デザインであれば、コミュニケーションそのものではなく、それを可能にする仕組みを指します。


すべてのデザインは、次の二つの実在の間に適合性を見出そうとする努力から始まる。その二つの実在とは、求める形とそのコンテクストである。

「コンテクスト」は、「形」に求められるあらゆる条件を指します。その「形」が日常で使われる状況に適合し、それが作られる場に適合し、使う人のニーズに適合し、置く場所に適合し、供給可能な材料に適合し、廃棄される状況にすら適合する...「形」を取り囲むあらゆる世界の状況です。

アレグザンダーの言葉を追っていくと、これまで自分がやってきたことがすべて言語化されているような気分になり、とても気持ちがいいです。本を読んでこういう感覚になったことはありません。デザインの実務経験をある程度積んだ人にオススメしたい一冊です。

ソフトウェアデザインも、まさにコンテクストの要求に応えることそのものです。私が「教科書的だ」と感じていたインプットやアウトプットには「コンテクストに応える」部分がごっそり抜け落ちていました。

私は前職での4年間、それと意識せずひたすらコンテクストに応えてきました。それは転職した今も変わりません。意思決定者と話してビジョンをキャッチアップし、セールス、エンジニア、ステークホルダーなどの関係者と対話を繰り返していきます。対話の中で見えてきた要求を抽出し、あらゆる条件に適合する「形」としてアウトプットします。求める「形」を最大化するために必要であれば、チームがパフォーマンスを発揮できる環境も、対話のプロセスすらもデザインしていきます

転職してすぐの頃、自分のやっていることが前職の延長線上だと感じていたので、これでいいのか?と考えたことがあります。でもそれは当たり前のことです。事業会社でソフトウェアデザインをやっている以上、ソフトウェア開発に必要なデザインプロセスをひたすら実践していくだけです。ポジティブに捉えれば、まだ道半ばとはいえ、自分の中でプロセスが「形」になりつつあると言えます。「型」と言ってもいいかもしれません。

自分の土俵で勝負する

マネージャーの細野さんとの 1on1 でもらったフィードバックの中に、印象に残っている言葉があります。要約するとこんな感じ。

デザイナは常に自然体で「この人がいると何故か物事がうまくまわる」状態を作ればいい。気づかれずにうまくいく状態や人の行動を設計して、自分にしかできないやり方でホームランを打とう。

「ホームランを打つ」は「たくさんのユーザーに愛されるプロダクトを作り、たくさんのユーザーに利用されて稼げる仕組みを作る」の比喩です。


デザイナ(あなた)にしかできないやり方で成果を出しなさい


他にもいくつかフィードバックをもらったのですが、この 1on1 で「あ、この会社に来て正解だったな」と確信しました。

メッセージや責任感で人は動きません。人はデザインされた仕組みによって動きます。あらゆることをデザインの対象として見てしまえば、あとは自分の土俵で勝負していくだけです。そういう風に考えたほうが、仕事が倍楽しくなるはずです。


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