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僕たちの生きる意味とは。

街を歩けば、沢山の人とすれ違う。

マスクをしたサラリーマン。

マスクをした学生集団。

マスクをした"美人だろうなぁ~"って人。

すれ違うたび、"かっこいい"➝"かっこよさそう"なのに、"かわいい"➝"かわいそう"になってしまうことにモヤっとする。

毎日毎日、脳のキャパシティを軽く超える人数とすれ違い、関わる。少々気難しい人もいる。それだけで疲れるわ。

残りの容量内で与えられた課題を粛々とこなす。あー疲れた。

家に帰れば、学生時代の友人達が日々生きる様子を、SNSで眺め、テレビやYouTubeの輝かしい人達の姿に釣られて笑う。どこか虚しさがある。

今日もまた、泥のように床につく。

かといってすぐに寝付けるわけもなく、頭の中は仕事をしているとき以上に、あれこれ色んな考えが横切っていく。

僕は何の為に生きているんだろうか。

湿気ってしまった本能

生き物は種の繁栄の為に生きていると、学生時代の授業で習ったことを思い出す。しかし昨今は、晩婚化、出生率の低下が嘆かれ続けている。というか、僕らが子供の頃からあったような嘆きで、誰が続けているのか分からない。
もはやそういう世の中なんだ。

僕らが産まれてからのこの国は、戦争もなく犯罪も少なく、とても平和で、財布を握って5分も歩けば食料にありつけるほど豊かで、例え身体が動かなくても生きることが出来るほど医学は進歩し、どうしても上手く生きていけない人には生活保護という最後の支えがある。

その甲斐あって人口がとても多い。

街ですれ違う同種の個体が多過ぎて、"自分が急いで種を残さなくてもいいや"と、本能がそう思ってしまうんだ。すっかり湿気って燃えない本能では、生きる意欲も湧かない。

以前のアルバイト先で、休憩時間中にこんなことを話す淑女達がいた。

「国や社会がしっかりしないと、将来が不安で最近の子は子供を作れないよねぇ」

最近の子に該当するであろう20代の僕は、

(うーん。違うなぁ……)

と思っていた。

不安だから作れないんじゃなく、そもそも思い至らないんだ。

僕らは足りている世の中を生きてきた

政治事情や社会情勢は、さほど重要ではない。若年層の投票率の低さが、関心の無さを物語る。
僕らは、産まれてから20年以上生きてきて、十分足りている世の中しか見てないんだ。

数値上で見れば、緩やかな不況が続いていたらしいが、長い間親の保護下で学生として過ごし、ようやく働きに出たばっかりの僕らは、"実感として"足りている日常を送ってきている。確かに自販機のコーラやジャンプの値段は上がった気がするし、カントリーマアムはめちゃくちゃ小さくなったが、僕ら世代とリーマンショック前後の世代では、世の中を見る目に大きなギャップがある。

世の中は満たされている。車やスマホは、もうこれ以上発展させる必要なくね?ってくらい便利だ。すれ違う人が多い。関わる人が多い。比べる人が多い。情報やモノは、スムーズに行き渡る。頼んだ物が明日届く。

"僕が頑張らなくてもよくね?"

"もう十分便利じゃね?"

主体性なんてない。目標なんてない。夢なんてない。世の中に不満なんてない。変えたいことなんてない。

ただ生きているから、生きているだけ。

今の若い世代は、慢性的な生きる意味不足

では、どうすればいいのか。敢えて貧乏になるわけにもいかない。人口を減らすわけにもいかない。マンガの悪役だってもっとまともなこと言うだろう。世の中の豊かさは、先人達が必死で築き上げたもの。感謝の対象だ。

僕たちは何の為に生きているのか。

僕たちはどう生きるか。

自分の人生を歩き、積み上げ、振り返るなかで、一人一人が自分の生きる意味を見つけるしかない。

全員に共通解の、"種の繁栄"という本能が燃えてくれない以上、自分で見つけるしかない。

僕らの胸にある、ぽっかりと空いた隙間は、どういう背景で空いているのかを知り、代わりのモノで埋めるしかない。

せめて、消費されてすり減っていくだけにならないよう、確かな燃料を供給してくれる何かを見つけたい。ストレスに立ち向かい、より良いものを追い求める、そんな原動力を。

家族なのか、友人なのか、憧れの人なのか、趣味なのか、仕事なのか、人それぞれだろう。

何か一つでも、"僕はこの為に生きている"と思えるものがあれば、

明日は気持ちよく、起きられるだろう。

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