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先崎学(1970.6.22- )『うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間』文藝春秋 2018年7月刊  増田俊也(1965.11.8- )  Kenny Burrell (1931.7.31- ) "'Round Midnight" (1972)  日記 2018年8月21日 懸垂10回

日記
2018年8月21日
午前1時55分起床
室温26.4度 湿度70%
天気・最低最高気温予報 福岡県糸島市
https://tenki.jp/forecast/9/43/8210/40230/1hour.html
本日8月21日午前7時 曇り 24.2度 最高気温 午後3時 29.7度
明日8月22日午前7時 曇り 24.3度 最高気温 午前11時 30.3度

体重55.1kg BMI 20.5
懸垂10回
63歳7か月

https://www.amazon.co.jp/dp/B000009NWJ

Kenny Burrell (1931.7.31- )
"'Round Midnight" (1972)
https://www.youtube.com/watch?v=ZGP3Uyb5xEg

'Round Midnight (1972)
https://en.wikipedia.org/wiki/'Round_Midnight_(Kenny_Burrell_album)
https://www.amazon.co.jp/dp/B000009NWJ

Fantasy Studios, Berkeley, California
Kenny Burrell - guitar
Joe Sample - piano
Reggie Johnson - bass
Paul Humphrey - drums


ケニー・バレル(1931.7.31- )の演奏は、
立川市曙町にあった
都立北多摩高校(2013年3月末閉校
 現在は東京都立立川国際中等教育学校・中高一貫制共学校)の
三年生の頃(1972)から通い始めた
国立市旭通りのジャズ喫茶
「喇叭」でよく聴いていましたけど、
LPは買いませんでした。
2004年11月うつ病発症休職以降に
福岡市総合図書館から借りたCD
Two Guitars (1957.3.5)
 ~ 
Midnight Blue (1963.1.7)
の56曲をパソコンの
ウィンドウズメディアプレイヤーに収納して
聴いてきましたが、
この「ラウンド・ミッドナイト」の演奏は、
https://en.wikipedia.org/wiki/'Round_Midnight_(song)
で知って、ユーチューブで初めて聴きました。


Kenny Burrell (1931.7.31- )
Round Midnight (1972)
1 A Streetcar Named Desire
2 Make Someone Happy
3 'Round Midnight
4 I Think It's Going To Rain Today
5 Since I Feel For You
6 I'm Gonna Laugh You Right Out Of My Face
7 Blues In The Night
https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_naQMCFmfUSkcc9NBzAZoPmmMnDrfzjPkw


先崎学(1970.6.22- )
『うつ病九段
 プロ棋士が将棋を失くした一年間』
文藝春秋 2018年7月刊

https://www.amazon.co.jp/dp/4163908935
https://www.amazon.co.jp/dp/4167915332

「「ふざけんな、ふざけんな、
みんないい思いしやがって」
空前の藤井フィーバーに沸く将棋界、
突然の休場を余儀なくされた羽生世代の棋士。
うつ病回復末期の〝患者〟が
リハビリを兼ねて綴った世にも珍しい手記

〈このたび、先崎学九段(47歳)が一身上の都合により
2017年9月1日~2018年3月31日まで休場することになりました。〉

2017年8月10日、日本将棋連盟のホームページに
こんな告知が掲載されました。
折しも藤井聡太四段がデビュー29連勝を成し遂げたばかり。
空前の将棋ブームが到来していた最中に、
羽生世代のひとりとして将棋界を牽引してきた
先崎学九段が突然の休場を発表したのです。
詳しい理由が説明されなかったため
様々な憶測がかわされましたが、
先崎九段は実はうつ病とたたかっていたのです。
本書は、エッセイの書き手としても知られる
著者が自らの病の発症から回復までを綴る、
心揺さぶられる手記です。」

「うつ病の頭には死のイメージが駆け巡るのだ。
うつ病の朝の辛さは筆舌に尽くしがたい。
あなたが考えている最高にどんよりした気分の
10倍と思っていいだろう。
まず、ベットから起きあがるのに最短でも10分はかかる。
ひどい時には30分。
その間、体全体が重く、だるく、頭の中は真っ暗である。
仕方がないのでソファに横になるが、もう眠ることはできない。
ただじっと横になっているだけである。
頭の中には、人間が考える最も暗いこと、そう、
死のイメージが駆け巡る。
私の場合、高い所から飛び降りるとか、
電車に飛び込むなどのイメージがよく浮かんだ。
つまるところ、
うつ病とは死にたがる病気であるという。
まさにその通りであった」
(本文より)」

文春オンライン 2018.7.15
先崎学
「うつ病はこうしてやってきた」
羽生世代の棋士が綴る"うつぬけ体験記"
http://bunshun.jp/articles/-/8170

文春オンライン 2020.1.26
『うつ病九段』精神科医の兄が語る
「あの時、先崎学を救うには入院させるしかなかった」
https://bunshun.jp/articles/-/26353

マンガ
河井克夫『うつ病九段』第1話
https://bunshun.jp/articles/-/12558

先崎学・河井克夫『うつ病九段』文藝春秋 2020.4
https://www.amazon.co.jp/dp/4163912002



https://x.gd/X77qS

試し読み
https://x.gd/X77qS

https://x.gd/X77qS
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1970年6月22日生まれ、
17歳でプロ棋士になった
先崎学さんは
2017年
6月23日、うつ病を発症します。
47歳の誕生日の翌日でした。

原因は、
日本将棋連盟「不正ソフト使用疑惑事件」と
映画『三月のライオン』監修・プロモーション
による超過労なのでしょう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/先崎章

精神科医である兄
先崎 章(せんざき あきら 1961 - )
の紹介で、
7月26日慶応大学病院精神神経科入院。
3月31日までの休場届を連盟に提出。
8月28日退院。

2018年
1月13日、兄の勧めで
「うつ病体験記」(本書)を執筆開始。
6月、順位戦で復帰
(7月現在B級2組二連敗中、
7月23日叡王戦予選で高橋道雄九段に復帰後初の一勝)。

「いまだに心の病気といわれている。
うつ病は完全に脳の病気なのに。
何が苦しいのか、まわりはまったくわからない。
当事者以外には理解できない病気なんだ。
学はよくわかるだろう。
 … 
うつ病患者というのは、
本当に簡単に死んでしまうんだ。
 … 
究極的にいえば、
精神科医というのは患者を自殺させない
というためだけにいるんだ」
p.172

「学が経験したことをそのまま書けばいい、
本物のうつ病のことをきちんと書いた本
というのは実は少ないんだ。
うつっぽい、とか
軽いうつの人が書いたものは多い。
でも本物のうつ病というのは、まったく違う。
うつ病は辛い病気だ」
p.177

先崎学さんのように一年間で寛解に至る人もいれば、
2004年11月に49歳で、
うつ病を発症し遷延化して
[2018年8月]現在でも
部屋からほとんど出られない、
障害年金受給のために必要な診断書
(毎年、私学共済に提出)には
「難治性うつ病」と記載されている私もいます。
うつ病患者は様々ですね。

「うつ病患者というのは、
本当に簡単に死んでしまうんだ。 … 
究極的にいえば、精神科医というのは
患者を自殺させないというためだけにいるんだ」
p.172

https://note.com/fe1955/n/nd5d98c0cd755
増田俊也(1965.11.8- )
「続 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
 最終回[第6回]」
『小説新潮』2018年8月号 p.492
「鬱病は死に至る病である。
自死へ向かわせてしまう病気だ。
人々の最初の受診を促すため
ハードルを下げて喧伝されている
「心の風邪」という言葉で表現することは、
自死した者たちに失礼であろう。
私は多くの北大柔道部の仲間を自殺で失った。
そして入院中に知り合った若者たちを同じように
自殺で失った。」

https://note.com/fe1955/n/n15f9b12d7e56
「続 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
 第五回 残酷な再会
 妥協なき取材、作家は取材の最中倒れた。病名は鬱。」
『小説新潮』2018年7月号 p.509
「希死念慮は自殺願望という言葉に置き換えられるが、
自殺願望が現実逃避による自殺を指すのに対し、
希死念慮はもっと漠然とした死への希求を指す。
鬱病になるとなぜか死へと向かってしまうのである。
私も自分がこの病気だと認識する前に、
知らず自殺の準備をしていて途中で気づき、
驚いたことがある。」

増田俊也さんより、十歳年寄りな、
1955年1月生まれの私もありました。

https://note.com/fe1955/n/nba752145631e
「続 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
 第四回 だらしない精神」
『小説新潮』2018年6月号
「あらゆる抗鬱薬を試したが効かなかった。
鬱病とは心の病気ではなく、
脳という臓器の機能障害である。
それは糖尿病が膵臓という臓器の
機能障害であるのと同じである。」
p.429

私も、2,004年11月、発症直後の
パキシルから始めて
20種類ほどの投薬をされましたが、
副作用はあっても効果は何ひとつなく、
現在[2018年8月]は、
スルピリド(ドグマチールのジェネリック)だけ
毎日服用しています。
ドグマチールが効いているとは思えませんが、
何も服用しないでいるよりはましなようなので。

ドグマチール(スルピリド)
トレドミン
デプロメール
パキシル
ジェイゾロフト
サインバルタ
レクサプロ
テトラミド
アナフラニール
ルジオミール
アモキサン
エビリファイ
デシプール
リーマス
ノリトレン
セロクエル
ジプレキサ
ラミクタール
リボトリール

以上が
2004年11月から、
次々に投薬を試した抗うつ剤です。
 
精神安定剤(抗不安薬)の
レキソタン(セニラン)
ソラナックス
も試しましたが、
やはり効果はなく、
今は服用してません。

「鬱病は死に至る病である。
私は多くの知人をこの病気で失った。」
p.421

「鬱病になってひとつだけ
いいことがあったのは、
二十四歳で夭折[自殺]した
[北大柔道部後輩]
吉田寛裕の気持ちがわかったことである。
鬱病は自然にその方向[自殺]へ
向かってしまうのだ。
私もいちど危なかったことがある。」
p.429

私もありました。
2004年11月に発症したうつ病で、
最初の休職から復職して数か月後、
2006年夏に、オンラインで拾い読みした
『完全自殺マニュアル』で知った
アタラックスPを百錠ぐらい飲んで
自殺を試みました。
強烈な嘔吐感で覚醒して助かりました。
目が覚めた時、妻に言われた
「私達と一緒に生きているのがいやなの?」
が忘れられません。
私は、その時、
生きているのがいやだったというより、
生きていることに耐えられなくて、
自分の意識を無くしてしまいたかったのです。
私が存在しなければ私は何も感じない、と。
希死念慮。
うつ病は、私にとって、そういう病気です。
発症からもう20年も経った今でも。


読書メーター
先崎学の本棚
登録冊数20冊 刊行年月順
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11536745

将棋の本棚
登録冊数32冊
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091634

https://www.facebook.com/tetsujiro.yamamoto/posts/pfbid02o9n1VntjZgzKPhMVEaoUCwzwK7Ls4btTZB9pEBSEQAoC7ByiHup58DGTAjjsxXdTl

昨日読み終わった本。 先崎学『将棋指しの腹のうち』イラスト山本あり 文藝春秋...

Posted by 山本 鉄二郎 on Wednesday, February 26, 2020

https://note.com/fe1955/n/n003aebe1c359


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