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自分はHSPだと思う事は甘えなのか?
※HSP気質で深刻に悩んでいる方には酷な内容が一部あります。苦手な方はお控えください。
私はHSPだ。
それも割とその傾向が強い、癖の強いHSPである。
そう思って生きている。
職場での休憩中、他のスタッフがHSPの話をしているのをたまたま聞いた。
A「最近〇〇さん、なんかピリついてて怖くない?」
B「あーなんとなく分かる、私らにあたるのはやめて欲しいよねぇ、笑」
A「なんか〇〇さんと話してると緊張するし気分悪くなる気がするわ、笑」
B「え、そんなに??笑 あれじゃない?HSPとかいうやつじゃない?笑」
A「えーやめてよ!笑 私あーいう甘える系の人間じゃないし!笑」
B「なんかTVでやってたけど、あんなん言い出したら全員HSPじゃんね笑 要
要するにしんどい思いしたくないしHSPですって言ったら許されると思ってるだけでしょって思う笑」
まぁざっとこんな感じの会話だ。
HSP気質で生きづらい思いをしている人間からすると、心臓を八つ裂きにされるような言葉だろう。
私も仕事の手を止めないようにするのに必死なくらいだった。
帰りの電車で考えていた。
「HSPとは甘えなのか?」
確かにHSPといっても病気ではない。
•人よりも外的刺激に敏感で、小さな事から大きなストレスを受けやすい。
•人の気持ちや考えている事が言動や仕草から分かってしまう。
•生活する上で気を遣う事が多いため、精神的にも身体的にも疲れを溜め込みやすい。
•上記のような気質を家族や学校の人間に理解されない為、極度の緊張状態におかれるシーンが多い。
そのような環境や背景のせいで、自分を責めやすいなど、自己肯定感の低さが目立つ。
要するに生きにくい。
それら全て、HSPでない人間からすると「甘ったれ」に見えるのだろうか。
確かに「ストレス」や「刺激」とは、HSPでなかったとしても皆等しく受けながら生活している。
HSPだけが、特別に大きなストレスを受けているから生きにくいのだとは思わない。
HSPであってもそうでなくても、気が滅入るようなストレスに晒され、それでも何とか生きている。
皆そうなのだろう。
であれば、自分をHSPだと思い労わるのは、
確かに甘えなのかもしれない。
自分でもそう思う事があるのだ。
だが、仮にHSPが、甘えだとして、
悪戦苦闘しているこの気質を、自力でどうにか出来るだろうか?
「これは甘えなのだから」と自分に諭して、これまでの繊細敏感な自分とはおさらば、心機一転、強靭な心の持ち主に、急になれるのだろうか?
おそらくほとんどのHSPが無理ではないか??
トマトが嫌いな人は、トマトが食べれるふりをして、トマト入りのサラダをなんともない顔をして食べる事が出来るかもしれない。
それでも1回や2回が限度だ。
毎日トマトが好きなふりをしては過ごせない。
明日突然トマトが好きになれるわけもない。
違うかもしれないが、私にとっては、そーいうものだ。
HSPが甘えであったとしても、HSPだとされる特徴が自分を苦しめている事は事実でしかない。
HSPが甘えであったとしても、そんな自分が突然変わるわけもない、というか変えられない。
もし、「HSPである」事を周りに公言する事で、
人に迷惑をかけて自分が楽をしたり、
自分がHSPである事を周囲が気にかける必要に迫られて困惑したり、
そんな事がない限り、HSPが甘えなんだとしても、HSPとして生きていれば、それでいいのではないだろうか。
たとえ甘えであったとしても、誰にも迷惑をかけているわけではないのだから。
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