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HSPを知る事の代償

【人が気にしない事が気になる】
【音や匂い、感覚に敏感】
【人の機嫌が手に取るように分かる】
【人から笑われ悪口を言われているように感じる】

数年前、HSP気質が一番強く影響している当時、

日常の全てがストレスで、一日生きているだけでヘトヘトだった。


きっと自分が人と違い、何かおかしな所があるのだろう。

平然と生きていくには、性格を180度変えなければならない。

このままでは、周りに取り残され、ダメな人間になってしまう。


本気でそう考えていた。


そんな時HSPという概念を知って、私は大きく救われた。

自分に欠陥があるわけではなく、HSP気質特有の【繊細さ、敏感さ】が強すぎてマイナスに影響してしまっているだけだ。

これまで欠点でしかなかったHSP気質こそ、私自身の誇るべき特徴なのだと思えた。

今までのしかかっていた重荷が一気に半分くらい吹っ飛んだようだった。


しかし、【自分がHSPだと認識しHSPに関する知識を得る事で生じる代償】もあるようだ。


最近、自分はHSPなんかではなく、ただメンタルが弱いだけなのではないかと、

ただただ能力値の低い自分を肯定する手段としてHSPという言葉にすがっているだけではないのかと思うようになった。


これに関して、随分思い悩んだ。

結論、冷静に考えてもやはり自分にはHSP要素が存在する。

私の能力が低いか高いか、メンタルが強いか弱いかは置いておいても、自分はHSPだと十分言えるだろう。


問題は、「私はHSPだから」「~~な気質があるから」と、自分の苦手と得意を決めつけて、

自らチャンスや可能性を絶っているシーンがある事だ。

人間関係にしろ仕事にしろ、

「私はHSPである」という前提を持ちすぎた事により、挑戦出来る範囲の行動にもブレーキがかかっていたのだろう。


HSPについて知れば知るほど、学ぶほど、HSPだという檻に囲まれてしまう事もあるようだ。


以前よりHSPに関する情報は多く出回っている。

これまで「自分はHSPである」という事を公にしなかった人達が、今では「HSPである自分の体験談」を発信するようになった。

自分の気質に戸惑い苦しむより、理解し活かそうとする傾向がある。

だからこそ気をつけたい。

HSPという型に自分を当てはめすぎて、その型からはみ出た部分の自分を捨てていないか??

HSPを知る前に出来ていた努力や挑戦をやめてしまってはいないか??

HSPを知りすぎてHSPに囚われてはいないか??


きっとHSPというのは私達そのものもを示す訳ではない。

大前提として「自分」という人間があり、本来の自分を尊重し、前向きに生きられるように、「HSPという鎧」を纏う事が大事なのだと思う。

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