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感 揺 句。

第10話『甘い汁を吸う』

 10年ぶりに帰郷する。

 大学から県外で暮らしていて、成人式も戻らなかった。今回は祖母の法事があって、どうしても出席してほしいという母の希望があって、休みをやりくりした。

 法事の前日から2泊3日の滞在。法事が終わった夜は、仲の良かった幼馴染みたち数名と会う約束をしている。

 地元の駅に着いて、キャリーバッグを転がしながら、路線バスのバス停に向かう。30分に1本のバスは、あと15分ほどで来るだろう。私がいたときと駅前はすっかり変わっていて、開発され、区画整理できれいになっていた。

 駅前のバス停で、見慣れぬ故郷の街をあちこち眺めながら、あの書店がない、スポーツ店がカラオケボックスになっているなど、思い出したり発見したり忙しい気持ちでバスを待っていると、

 「もしかして、アンちゃん?」

と声をかけてきたサングラスの女性がいた。

 私のことを「アンちゃん」と呼ぶのは、中学までの同級生だ。私は「杏子」と書いて「きょうこ」だが、小1の時の担任が「杏子さんの名前はあんずとも読むのよ。」と言ったことがあって、その頃から何となくいつのまにか、私は「アンちゃん」になった。

 サングラスの女性はきちんと手入れされたロングヘアーで、毛先をきれいに巻いていた。7分袖の黒のワンピース。袖は上品なレースがあしらわれている。持っているバッグは海外のブランド。腕時計も、だ。爪は丁寧なネイルが施されていて、人差し指と親指に付いているラインストーンがキラリと光って、初秋の日差しを眩しく感じさせた。

 しかし、この女性が誰か思い出せず、私は困っていた。こんな人、知り合いにいたっけ?

 「失礼ですが、どちら様ですか?」

私は、思い切って聞いてみた。

 「あははは。そうだよねぇ。わかんないよねぇ。中学卒業してから、もう13年?14年?かな。」

 中学の同級生なことは間違いない。でも...誰だっけ。

 「中井奈々子。わかる?」

 「あ‼️ 貞子‼️」

 そう言ってしまった私はあわてて口に手を当てたが遅かった。中井奈々子は、

 「そうよねぇ。貞子って言った方がわかるよねぇ。」

と言って、口元だけはニコっとしたように見えた。

 貞子、というのは彼女の中学時代のあだ名だ。その頃の彼女は、昔流行ったホラー映画の主人公と髪型が似ていたし、そして何よりも陰気だった。こんな気さくな感じではなかった...と記憶している。でもあれから13年。彼女も変わったのだろう。だが、アンちゃん、と呼ばれるほどの親しさはなかったような気がする。

 「アンちゃん、帰省なの?」

 「うん。おばあちゃんの法事でね。」

 「そうなんだ。しばらくいるの?」

 「明後日には帰らなきゃいけないの。」

 「どこにいるの?仕事は?結婚してるの?」

 矢継ぎ早に質問が続く。

 「東京で、会社員。結婚はしてないよ。」

 ふーん。そう返して、値踏みをするように私を見た...ような気がした。

 「あ、バスが来たよ。」

 私がそう言うと

 「もうちょっと話したいな~。ねぇ、ちょっとだけ。いいでしょ?ね。」

 半ば強引に、駅前にある全国チェーンのコーヒーショップに引っ張られるように入った。

 「東京で働いてるってカッコいいね。私なんてずっと地元だし、何にも変わらなくて。」

 席に着くと同時に彼女が喋り始める。

 「やっぱり都会の人はおしゃれだし、洗練されてるよねぇ。」

 私の格好はどこにでも売っているような白いシャツ、それに薄いニットの紺色のロングカーディガンにスニーカー。普通。いや、十分にリーズナブルで、中井奈々子が着ている服の方がきっと高価だと思うし、私を羨ましがっているのはお世辞だろうとさえ感じる。

 「中井さんは、何をされてるの?」

 「私は、専業主婦よ。パパ、あ、主人が会社やってて、たま~にお手伝いするくらいかしら。」

 アイスコーヒーにストローを挿したあとの袋を指先でくるくると何度も結びながら彼女が言う。

 「旦那さん、社長なのね。」

 「イヤだぁ、社長だなんてぇ。小さい会社なのよぉ。」

 彼女は嬉しそうに言った。特に仲が良かった記憶もなく、共通の思い出もないように感じ、一緒にいても、私からは話が続かない。彼女が一方的に話して、私が相づちをし、時々彼女の質問に答えて30分ほど経った。

 時計を見た彼女は、バッグの中をゴソゴソと探り、あぁ、と言って、そして、ふうっとため息をついた。そしてずっと外さずにいたサングラス越しに私を見て、

 「私、駐車違反やっちゃって、罰金を払わなきゃいけないんだけど、お財布忘れて来ちゃったみたいで。今日が振り込み期限なんだけど、銀行があと10分で閉まっちゃう。家に取りに行ってる時間もなくて、どうしよう...。もし良かったら、2万円貸してもらえる?後でアンちゃん家に返しに行くから。ね。お願い。」

 少し考えた。そして貸すことにした。久しぶりに会ったあまり親しくはない同級生が、困っているという状況で、まさか嘘とは思いたくない。彼女を信じられないという自分を客観的に見て、とても卑しい存在に感じた。理由はそれだけだ。

 「はい。」

私は財布から2万円を取り出し、彼女に渡した。

 「ありがとう。恩に着るわ。必ず後で返しに行くから。」

 お金を受け取ると中井奈々子は、慌てて店から出ていった。

 「電話番号、聞くんだった...。」

 うっかりしたな、と思いつつ残っていた氷が溶けて二層になっていた、アイスのロイヤルミルクティーを飲み干した。

 翌日、法事はつつがなく終わり、久しぶりに会った親戚と昼の会食を終え、一段落して実家でゆっくりしてから、幼馴染みたちとの集まりに出かけた。中井奈々子、という人がお金を返しに来たら受け取るように、と家族に伝えてから。

 地元で人気の創作居酒屋の個室に、幼稚園から中学まで一緒だった、和紗、萌乃、美妃と私の4人が集まった。

 幹事の和紗が注文していた料理は、どれも美味しく、お酒も進んだ。10年間帰省はしていないが、誰かが上京してくれば会ったり、私のアパートに泊めていたし、SNSでも頻繁に交流しているから、不思議と久しぶり感がない。こうやって当たり前のように揃って、楽しく過ごせる時間がとても嬉しい。近況もわかっているから、日常の延長のように話せる。

 「そういえば、昨日、駅前でバス待ってたら、中井奈々子に会ったのよ。」

 私が言うと

 「中井...奈々子?」

 全員が首をかしげ、考えている。

 「ん? あ、あれ、ほら、」

 「貞子っ‼️」

 全員が人差し指を出して、お互いに指先を向けるポーズが揃って、私たちはそのことにまず大笑いした。

 「やっぱり、貞子って言えばわかるよね。」

私の言葉にみんなうなずく。

 「あの頃さ、貞子って言われて、泣いたりしてたじゃん。うちのクラスじゃないけど、かわいそうな感じだったよね。」

 萌乃が思い出しながら言う。

 「私は全然話したことなかったけどな。昨日、会った時、話したの?」

 美妃が私に聞いてきた。

 「うん。ちょっとだけ。クラス一緒だったか思い出せなくて、クラスメートの誘い断るのもなぁって、思って。やっぱり、クラス一緒じゃなかったんだ。」

 私が苦笑いしていると和紗が

 「でも、貞子ってほら、あれ、アン、まさかお金貸してないよね?」

 と不安そうに言った。

 「え?貸したよ。」

 「いくら?」

 「2万円。」

 「あちゃ~。」

 和紗が頭を抱えた。

 何?なに?ナニ?

 「実は、半年前に6組だった美玖ちゃんに偶然会った時に、貞子の話を聞いたのよ。」 

 和紗が続ける。

 「あちこち同級生やら知り合いやらに連絡しまくって、会員制の商品販売勧めて来るって。会員になった人もいるんだけど、結果、マルチ商法ってやつだったわけ。」

 「何それ。ヤバイじゃん。」

 と萌乃。

 「それでね、会員に誘われてない人もいるんだけど、そういう人には、何か理由を付けてお金を借りてるみたい。でも返さないって。」

 「えー‼️」

 和紗以外、驚きで大きい声が出てしまう。

 「でも、お金に困ってる感じじゃなかったよ。きれいな格好してたし、奥さまって感じだった。」

 「旦那さん、会社やってるとか聞いた気がするけど、どうなんだろう。そこまで興味ないしって思って、美玖ちゃんから聞いたのはそのくらいだったんだよね。」

 体の力が抜けかけたが、もう貸してしまったものは仕方ないし、こういうこともある、と肝に命じるため、お金は諦めることにした。そして心のどこかでは、貞子...いや、中井奈々子の良心に賭けたい気持ちもあった。それをみんなに言うと、

 「うん。アンの気持ちはわかった。今日は3人でアンに奢る‼️」

そう言ってくれ、私たちは深夜まで盛り上がった。


 昨夜は家人が就寝してしまっていて、貞子がお金を返しに来たのか確認できなかったが、朝起きてすぐ母たちに聞いたところ、私を訪ねてきた人は誰もいなかったと言う。予想していた通り残念だったが、これも勉強代...と思うことにした。2万円あったら、あの服買えたし...という思いもあったが、諦めが肝心、と口にして私は帰り支度を始めた。

 駅までは、従姉が車で送ってくれた。おみやげとか見て帰るからと言って、ホームまで見送ろうとしてくれた従姉にお礼を言い、別れた。

 駅ビルで会社や自分用のおみやげを探していると、

 「アンちゃん‼️」 

と呼ぶ声がした。

貞子だった。

 正直驚いた。お金は返されないものだと諦めていたから。

 「お家に行ったら、今さっき出ましたって言うから、間に合わないんじゃないかって思って。ごめんなさいね、昨日行けなくて。はい、これ。」

 茶色い封筒に2万円がしっかりと入っていた。ピン札。人を噂話だけで疑ってしまったことに後悔を覚える。そういう顔をしてないか、それを貞子に気づかれているのではないかと私は思い、早く立ち去りたかった。疑ってごめん、貞子。

「あ、わざわざ駅までありがとう。じゃあ、また。」

そう言って、新幹線の改札に入ろうとすると、

 「時間ある?」

と貞子が言う。

 「どうして?」

 「私ね、会員制のカタログ販売の代理店をやっててね、これがけっこう稼げちゃうの。アンちゃんにも紹介したくて。」

 ニコっと笑った貞子に、背中が氷を入れられたように冷たくなったと同時に悲しくなり、淋しくなった。あぁ、この人は何も...。

 何も答えず、貞子の方を振り向くことのないまま、私は、改札口を抜け、ホームに向かった。

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