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できない理由を探すな。 2年 梅津凜太郎

前回、マネージャーの庄子佳那から紹介に与りました、今回ブログを担当させていただく梅津凜太郎です。よろしくお願いします。

あまり文章を書くのが得意ではないのでまとまりの無い文章ではあると思いますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。



大学生になり、もう2年生も終わろうとしている。

自分はこの2年間何をしていたのだろうか。
考えると何もできていなかった。

高校3年間が終わり、プロになれなかった悔しさを持って「大学では絶対にプロになってやる」と思い、入学した2年前。

1年生ではBチームのメンバーに入るのがギリギリ、2年生になっても怪我で長い間離脱したり試合にはなかなか出られなかった。

この2年間本当に自分は何をしていたんだと考える度、"情けない"そんな気持ちだけが残った。

2個下の弟には
「いつになったら試合出るの?」
母にも
「今日も試合出られなかったの」

と言われることがあるが何も言い返せなかった。


高校の頃のチームメイトもみんなメンバーに入っていたりスタメンで試合に出ていたりする。


自分も同じ舞台で試合がしたい。
このままじゃダメだ。
もっと成長しないといけない。


何度も何度も思った。
しかし、なかなか思うようにはいかない。

どこかで諦めてしまいそうな自分がいるのかも知れないとも思った。

そんな時にふと思い出したのが高校の時の監督の言葉だった。


「できない理由を探すな。」


高校の3年間で何度も言われた言葉だった。
正直言って高校の3年間は地獄のように厳しかった。

朝の6時に起きて掃除をして6時半からご飯を食べる。
7時30分に10キロ先の学校に自転車で出発する。
学校が終わって練習をして寮に帰ってきたら9時半に携帯を回収され、10時には就寝する。

こんな感じのサイクルで毎日が過ぎていく。
少しでも時間を守れなかったり、何か不具合が起きたらペナルティもあった。

自分には辛くて結構長く感じた高校生活だった。
何回もムカつくことがあったし、反抗しようか迷った時もあった。

でも今思えば監督には感謝しかない。
そんな高校の監督に今回も助けられた。


「できない理由を探すな。」

どんなに困難な時でもできる理由を見つけることが大切ということを学んだ。

自分が高校の時、コロナウイルスに悩まされている時でも練習を止めず、コロナ禍でもできる方法を常に探してくれていた。

今回自分がぶち当たった壁も越えられない理由を探すのではなく、越えるために何をするかを考えることが大切であると気づいた。

自分が成長するために、自分が試合に出て活躍するために、自分がプロサッカー選手として活躍するために何が必要かを考えていこうと思えた。


今の自分はまだまだプロサッカー選手になれる選手ではない。

でも今から2年後笑っていられるよう、情けないと思わないように残りの2年間全力で駆け抜けたいと思う。

次のブログは東洋一の偽善者、内股の角度は30° 隠れイケメンの梅澤魁翔です!お楽しみに!

東洋大学体育会サッカー部 2年 梅津凜太郎

梅津凜太郎(うめつ・りんたろう)2002年6月15日生まれ
エストレージャスFC→鹿島アントラーズジュニアユース→鹿島アントラーズユース

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