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終止符 4年 西山浩人

矢野息吹から紹介預かりました、西山浩人です。
遂に最後のブログです。少々長いブログになりますが、是非最後まで読んで下さい。

サッカーやめます!
サッカーを続けない。

自分の夢であったプロサッカー選手になるという夢を諦めた。

やっと決断できた。

私は前回のブログで、プロサッカー選手になるという決意でもあったブログを書いた。しかし、プロサッカー選手になることはやはり簡単ではなかった。

自分の中でこの何ヶ月間かすごい葛藤があった。もちろん“サッカーを続けたい、サッカーを辞めたくない”この気持ちが強かった。

実際サッカーを続ける選択肢はあったのかもしれない。プロサッカー選手じゃなければ続けれられたと思う。でもそこまでの覚悟は自分には無かった。そこからまた這い上がってやろうという覚悟が無かった。

私は13年間続けてきたサッカーに終止符を打つことにした。サッカーを続けるか続けないかの決断を決めるのは悩んだ。誰しもいつかこの決断をする時がくる。自分なりにしっかり整理をして決めました。

なのでこの決断に後悔はない。何か物事をすることで私は後悔して辞めるのは非常に嫌いだった。サッカーでの後悔はもうない。やれることをやった。胸を張って言える!

大学に入ってから初めてサッカーしたくないなと思うことがあった。その理由は自分でも分かっていた。試合に出れないからだ。

サッカーやってれば誰だって一度は通る道だと思う。試合に出るために練習してるのに、試合に出るために筋トレしてるのに、試合に出るために栄養だって摂ってるのに。

それなのにいざ試合の日になれば試合に出れない。しかもメンバー外の日もあった。全てを裏切られる気持ちになる。そんなのが毎週あったらそれは行きたくなくなるのが当然。

それでも最初の頃は自分の夢であったプロサッカー選手になるために必死にやった。いつしか必死にやるのが苦しくなった。毎週土曜か日曜に試合があり、月曜がオフ、そしてまた火曜日から練習が始まる。練習のある日が憂鬱に感じる日もあった。それでも練習に行った。

去年までは別にそう感じることが少なかった。

しかし、今年は覚悟を決めて本気でプロサッカー選手になりたい。

そのために全力で頑張っていた。「頑張ればいつか報われる」そういろんな人から言われた。だから全力でやっていた。

でも報われなかった。その頑張りがしんどくなり、自分の夢を諦めた。頑張るのがしんどくなるのも初めてだったかもしれない。それぐらいメンタル的にきつかった。

基本的に自分は明るい性格なので基本的にみんなの前では出さなかった。家に帰って家族の前でも明るく振る舞っていた。でも布団に入った途端、急に来るんですねああいうのって。何かは言いません(笑)

自分が情けない。チームでは副キャプテンなのに試合出れてない。だから自分には何ができるかを考えた。とにかくチームが明るくなるようにいい雰囲気でいけるように努めた。自分にはそれしかすることができなかった。

でもみんながいなかったら絶対ここまではやらなかった。それがサッカーの良さ。集団でやるスポーツの醍醐味。決して1人じゃない。自分にはいつだって最高の仲間がいた。

そして私はサッカーを通して大きな財産を手にした。それはサッカーを通じて出会えた人たち。サッカーで出会えた人は数えきれないほどいる。選手・スタッフ・マネージャー、他にも挙げればたくさんの人がいる。その人たちにたくさんの感謝をしなければいけない。その中で恩返しできた人は少ないがとても感謝しています。

ありがとう!

サッカーというこの素晴らしいスポーツのお陰でたくさんの人との出会いがあり、喜怒哀楽を共にした。だからここまでの深い関係になれたと思う。


長い文章になってしまいましたが最後まで読んで頂きありがとうございます。サッカーを通じて出会えた人に届いてくれたら嬉しいです。

これで私のサッカー物語は終わりです。そしてこれからまた新しい第二の人生のスタートです。

次回はこの大学生活で「欲望」この2文字にたくさん動かされた山岸楓樹です。
楓樹とはたくさん一緒にいたので楓樹も色々思ってることがあると思います。
そんな楓樹が書くブログは楽しみですね!

東洋大学体育会サッカー部 4年 西山浩人

西山浩人(にしやま・ひろと)2001年4月3日生まれ
鷹の子サッカークラブ→東急SレイエスFC→アルビレックス新潟U-18

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