ゲームが出来て仕事は出来ないという病について

何を隠そう、僕はゲームが出来て労働ができない人間だ。どちらも得意であるとは言わないし、不得意であるとも言わない。

好んでやるのは対戦ゲームで、特にFPSが多い。大学の前半2年を荒野行動とPUBGで、後半2年をコールオブデューティーで潰した。

学生時代のバイトは最高2日でバックれ、1番長く続いた接客でも月一で客とトラブルを起こしていた。高校をドロップアウトしているので中の下の社会不適合者というところだろうか。ファック社会。くたばれ

とにかく世の中に無限に溢れているであろう自分と同類の人種の為に、労働とゲームは意外と似てるよ、ということについて考察していきたい。初めに共通項を述べて、次に異なっている点を述べていく。

それと、大した量じゃないが、急いでいるなら読み飛ばしてくれて構わない、その代わりに幾許か投げ銭をしていってくれ。
君が怠惰で無能な人間ならおそらくこの情報は有益だ。多分、コカコーラの成分表示欄よりは。


ゲームと労働は、特定の作業をこなすことによって報酬が貰えるという構造をしているという点で共通項を持つ。

ソシャゲなら周回をして、アイテム獲得するという作業をすることで、キャラが強化できるという報酬が得られる。
ところで僕は、大学時代に友人にソシャゲの周回は時間の無駄じゃないかと尋ねたことがある。今のソシャゲは倍速かつ自動でできるらしい。あれが面倒だと思える人間が大半らしく安心した。

僕が好きな対戦ゲーム、PUBGならアイテムを漁り、キルをするという作業することで、ドン勝という報酬が得られる。これはAPEXだろうがCODだろうが対戦FPSなら同じだと思う。

テトリスでもいい。無限にブロックのパターンを組み立てる作業をこなすことで、ポイントという報酬が得られる。ちなみに4つのラインを一度に消すことで「テトリス」になり、ボーナススコアが得られる。右か左に一ラインを残す動きは大抵これを狙っている。

労働はどうだろう?

営業職なら、客先を周ること、相手のニーズをヒアリングして自社の商品を説明して契約を取ること。これまでが作業で、報酬は給料だ。正社員であれば、半年に一度、何月か分のボーナスが貰える。あるいは貰えない。

事務職もそうだ。書類を作成し、整理すること。データを入力すること、電話応対をすること。上司に頭を下げて同僚に媚びを売ること。これまでが作業で、代わりに君は月20万ばかりの代価を受け取る。

マクドナルドのアルバイトは?マクドナルドのアルバイトは世の中の労働の中で最も簡単なものの一つだ。
なせなら、マクドナルドのマニュアルが、世界中のどんな頭の悪い人間でもこなせるように設計された、完璧なシステムとして機能しているからだ。マクドナルドの厨房で、君はバンズにパティとピクルスを挟む。ケチャップをかける。ビックマックソースをかける。あるいはポテトフライを揚げる。シェイクを作る。包装紙に包む。どこかの工程のミスで生まれた不良品は廃棄される。
その対価として、君は時給にして1000円ばかりを受け取る。君は45分ほど働くことで、スターバックスのフラペチーノを飲むことができる。

そう、世の中の仕事とは作業の積み重ねであり、労働とはその作業をこなして代価をもらうことである。

ゲームも労働も、作業をして報酬を貰えるという点では変わらない。人生の大部分を費やすという点でも。人間は平均して70万時間ほど生きるらしい。そして平均的な労働者はその生涯で10万時間ほどを労働に費やす。君は人生で最も活動的な時間の大部分を上司に頭を下げることに費やさなければいけない。頭を下げられる側につくには厳しい競争に勝たなければいけない。そしてそれは終わらない。

さて、ここまで労働とゲームと共通項を書き連ねてきたが、最後に労働とゲームの決定的な違いについて述べていきたい。

一つは労働とは我々が雇い主に価値を提供する代わりに金銭という代価を貰うものである。それ故に、我々は、その価値をより多く提供するようにプレッシャーを受けることとなる。
そして行う作業は時として不親切かつ不明瞭であり、タスクの分割は大雑把であり、そして目標値の設定はバラバラである。高かったり低かったりする。「あれやっといて」と言われたら、「あれ」をやらなければいけない。「あれ」をどこまでやるかは君次第だ。やらなくてもいいぞ。

一方、ゲームとはサービスでありエンタテイメントである。我々はサービスを受けるお客様であり、行う作業は非常にわかりやすく、大抵タスクの分割とその目標値はバカにでも容易に達成できるよう設定されている。
なぜなら容易に達成できる作業を与えて、簡単に報酬を渡してあげることが、ゲームの要だからだ。君はボタンを押して餌を食べられることを覚えた実験用の猿と変わらない。あるいはパブロフの犬である。ダークソウルですら実社会の労働ほど理不尽ではない。いや、理不尽かもしれない。

ここまでつらつらと書き連ねてきたが、コカコーラの成分表示欄よりは有益なことを書いてきたつもりだ。賞味期限欄には負けるかもしれない。
そして、次に書く機会があったとしたら、得意なゲームから導き出される適職について書くかもしれない。
あるいはどうでもいい、例えばなぜ人間は老人になると口をくちゃくちゃやり始めるのかについて書くかもしれない。あるいは書かないかもしれない。


人生攻略への道は遠い。

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