ここで大きく成長して、財産を中国に持ち帰りたい #FC今治でプレーする ニン・フォンゾン
FC今治と協力関係にある中国スーパーリーグの浙江FCから、ニン・フォンゾン選手の期限付き移籍での加入が発表されたのは、今年3月のこと。浙江FCから初めて誕生したJリーガーとして両クラブの架け橋になるとともに、FC今治での活躍を自身の夢である中国代表につなげようと、大いに燃えています!
■ 今治との縁に不思議な気持ちに
FC今治が協力関係にある中国の浙江FCから、初めての期限付き移籍選手となったニン・フォンゾン選手は、浙江FCの育成チームでプレーし、2022年にトップ昇格しています。いつごろ、どういうきっかけでサッカーを始めたのですか?
2013年だから、僕が7、8歳のころですね。いとこの兄さんがサッカーをやっていて、試合の応援に行ったんです。それで兄さんのプレーを見ているうちに、僕もサッカーが好きになりました。みんなで応援するのが楽しかったし、ゴールが決まったときの喜び、盛り上がる雰囲気にひかれましたね。
兄さんは、まあまあうまかったです(笑)。もともとは同じタイミングで浙江FCの育成チームに入ったのですが、その後、兄さんは上海申花のU-19チームに移籍しました。
フォンゾン選手が浙江FCの育成年代のチームに入ったのも、いとこのお兄さんの影響ですか?
浙江FCには、兄さんと一緒に誘われたんです。もともとは、通っていた地元の小学校のチームに入ってプレーしていました。どのくらい自分が通用するか分かりませんでしたからね。
しばらくすると、山東魯能(現・山東泰山)の育成チームに誘われましたが、それは断ったんです。同じタイミングで浙江FCの育成チームのスカウトも熱心に誘ってくれていて、何度も僕のプレーを見に足を運んでくれたし、親にもしっかり説明してくれて、家族で話し合って浙江FCに入ることに決めました。
山東魯能といえばビッグクラブですよね? なぜ断ったのですか?
ビッグクラブである山東魯能の育成年代に行っても、果たして自分がやっていけるのか。いろいろ不安で、正直、自信がなかったこともあります。もちろん、浙江FCに進んだ方が楽だというような安易な考えは、持っていませんでしたよ。
浙江FCのU-12のチームに入った2015年は、ちょうどFC今治と協力関係が始まるときで、監督は今、FC今治のメソッドグローバルでグループ長を務めている土橋功さんでした。岡田メソッドが取り入れられたタイミングでもあります。今、こうして自分がFC今治に期限付き移籍で加入して、その縁に自分でもとても驚くし、何だか不思議な気持ちがします。
■浙江FCでの岡田メソッドとの出会い
浙江FCの育成チームで、岡田メソッドに基づいて、日本人の指導者陣の下でサッカーをする。中国国内の他にはない、とてもユニークな環境だったと思います。
自分が入ったころは、フィジカル的に他のチームに劣っていました。背が大きかったり、体が強かったり、足の速い選手は、メジャーなクラブの育成チームにどんどんスカウトされていきます。だから浙江FCに来るのは、二番手、三番手の選手たちだったんです。試合をやっても、初めは負けてばかりでした。
でも、岡田メソッドは育成年代の選手たちの能力を引き出し、伸ばすためのものです。自分たちはしっかりパスをつなぎ、テクニックと判断を駆使してサッカーすることに取り組み続けました。ミスをすることもありましたが、ブレることはありませんでしたね。
当時、土橋さんは厳しかったですよ。タフにプレーできていなくて、練習中の土橋さんとの1対1ではじき飛ばされたりもしました(苦笑)。ですが、今から思えば、その時期に技術、体力と、基礎となる部分をしっかり作ってもらえたことが分かります。感謝の気持ちでいっぱいですよ。
サッカーだけではなく、体作りの意味でも自分にとって大事な時期でした。土橋さんからは、『とにかく食べろ』としか言われず、空いている時間にジムに行って筋トレにも取り組みました。
努力が実を結び、U-13中国代表に選ばれました。以降、年代別の中国代表に選ばれ続けるきっかけともいえますね。
浙江FCでのプレーを、たまたま代表スタッフが見ていたようです。当時の自分はまだ体が出来上がっていたわけではなかったのですが、テクニックや判断の部分を評価されたのだと思います。
そうした自分のプレー、特徴は、もちろん岡田メソッドの影響が大きいです。そのころにはサッカーの原理、原則が体系的に身につきつつあって、プレーにも表れ始めていたのでしょう。
そしてフォンゾン選手たち浙江FCのU-17チームは、2022年、全国大会で優勝し、ついに中国チャンピオンになりました。
本当にうれしかったですね。自分たちが全国で優勝できるなんて思ってもいませんでしたから。最初のころは負けてばかりだったし。
ですが、中国の多くのチームがロングボールに頼ったサッカーをする中で、自分たち浙江FCはグラウンドでボールを動かすサッカーを貫いたんです。パスをしっかりつなぐポゼッションのスタイルで戦って、最終的に優勝できました。“中国のバルサ”と報じるメディアもありましたね。
ドリブルが得意なフォンゾン選手は、『中国のバルサ』のメッシだった?
いやいや、自分はあくまで自分ですよ(笑)。ただ、ネイマールは昔からあこがれの選手でしたね。子どものころの自分は体が細くて、ネイマールをまねてドリブルしても、すぐにボールを取られていました。それが浙江FCでトレーニングを重ねているうちに体が強くなり、ドリブルで抜いていく力も身についていったんです。
そのドリブルを、これからFC今治で生かすことが期待されます。
一日も早く試合に出て、チームの勝利に貢献するためには、まずは守備を覚えなければならないと思っています。テンポの速いJリーグのリズムに慣れて、1対1でしっかりボールを奪えるようになること。それが今の自分のテーマです。
日本のサッカーは、非常に切り替えが速い。まだ、トレーニング中に難しいときもありますが、しっかり改善、向上させていきます。
■新たなチャレンジが始まった
FC今治への期限付き移籍は、今年1月の練習参加を経て決まりました。
練習参加を通して、FC今治でサッカーをすれば、自分はさらに成長ができると実感しました。こうしてチャンスをいただいたことは本当にうれしいですし、自分の財産にすると同時に、しっかり中国に成果を持ち帰って還元したいとも思っています。新しいチャレンジが始まって、わくわくしています。
1月に練習参加したときは、期限付き移籍できるかどうか不安もありました。期待もしましたが、チームのみんなはとてもうまいし、強いので、『(期限付き移籍は)五分五分かな』という感じでした。
思う存分、自分をアピールできたわけではなかったということもあります。去年の春、左ひざの大けがをして、手術の後、8カ月リハビリしていたんですね。FC今治の練習に参加したときは、ようやくプレーに戻ったばかりという状態でしたから。
ひざを大けがしたときは、とてもショックでした。ですが、そうなってしまった以上は仕方がない。より強くなることだけを考えるように切り替えました。筋トレをして両脚を強くして、乗り越えようと頑張れたからこそ、今があると思います。
1月に練習参加をした時点では必ずしも本調子ではなかったにも関わらず、3月、FC今治への期限付き移籍を果たしました。
もちろん、うれしかったですよ。自分が成長できる環境でサッカーができることに、とても興奮しました。浙江FCでサッカーをすればするほど、もっと外の世界に出て、チャレンジしたい気持ちも強くなっていましたから。
今治で成長することは、自分自身のためだけではありません。僕はこれまで年代別の中国代表に選ばれてきましたが、それで満足せず、フル代表に入る力を、この今治で付けたいと思っています。自分の努力次第によって、FC今治と中国のサッカーに貢献できることは、大きなモチベーションです。
今回、FC今治に期限付き移籍するにあたって、岡田武史会長からはどのような言葉をかけられましたか?
しっかりサッカーに取り組んで、チームに溶け込み、試合に出てゴールを決めるように努力してほしいと言われました。期待に応えられるように、チームの練習だけではなく、自由な時間に筋トレなどもやっています。
今治では、中国にいたときとはサッカーをする環境が変化したところもあります。サッカーの部分と日常の生活が、これだけはっきり分かれているのは、自分にとって初めてのことです。
浙江ではトレーニングセンターに練習場も寮も学校もあって、すべてそこで完結していました。今治では練習や試合のときだけスタジアムにみんな集まって、それ以外は自宅に戻りますよね。だから、食事も自分でなんとかしないといけません。野菜炒めとか簡単な料理ですが、自炊をする今の生活は、ちょっと新鮮でもあります。ユメ(横山夢樹選手)が食事や買い物など、いろいろ連れて行ってくれるのもありがたいです。
FC今治で実現させたい夢を聞かせてください。
できるだけ早く中国のフル代表に入ることが、今の目標です。そのためにも、中国に自分のプレーぶりが届くくらい、しっかりFC今治で結果を出さなければなりません。試合に出てFC今治の勝利、そしてJ3優勝とJ2昇格というクラブの目標に貢献する。それが、自分の目標であるフル代表でプレーすることにつながることを信じて、これからも努力し続けます。
取材・構成/大中祐二