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「信じて託せ、そして走り出せ。」 | 長島直紀

「信じて託せ、そして走り出せ。」

ドリブル大好き小僧だった自分は、思い返すと過去教わってきたコーチからだいたい同じようなことを言われていた気がする。

以下、本文です。

2021年10月29日23時05分

場所は吉祥寺。

ア式蹴球部史上初となるeスポーツイベントの準備のため、ヨドバシカメラで機材を視察して、そのままコメダ珈琲で作業。


LINEの通知が鳴った。戸田さんからだ。

「来季はそれぞれのために、別の道を歩もう。お互いに先のフェーズへと進もう。」


要約するとメッセージはこんなところだ。実際には書けること書けないこと含め、色々と複雑なやりとりを経て。


揺るぎない決意を感じ取った。覚悟はしていた。お互いのために、より良い未来のために、次のフェーズに移る覚悟を戸田さん、クラブの両者が決める時が来たのだ。


一応断っておくが、決して喧嘩別れではないし、これからも関係性は続いていき、発展していく。お互いの未来のための最善の選択だってことを、またいつか振り返って公に話せる日が来たらいいな、と思う。


今自分は、吉祥寺の歩道、脇にあったベンチに座ってこの文章を書いている。時刻は23時。何を書くかは決めていない。心から線香のように流れ、漂っている感覚を言葉にしたいと思って、文章を打ち込み始めた。


「そうか、もう来年は戸田さんがなんとかしてくれるなんてことはないのか。本当に自分が、自分たちが、組織の命運を握るのか。」


覚悟はしていたと書いたが、突拍子もなくこんな文章を書き始めたのを考えると、かなり動揺しているんだと思う。


今、自分は不安で仕方ない。怖くて、逃げ出したくなるような不安に駆られている。


重い。クラブにおいて自分が背負っているもの、自分に課したものは、時に自分を押しつぶしそうになる。


組織に関することと、事業に関すること。
この2つにおいて、自分はクラブの中で絶対的な立ち位置にいる。自分がアクションを起こさなければ、自分がクラブの行く先を照らさなければ、クラブの歩みは止まってしまう。



「なんで俺って、こんなしんどい思いをしてんだっけ?」 



そんなことを思う機会も増えた。その理由を考えても「結局は自らが課したんだよな」ってところに行き着く。


そんな苦しみに似たものを抱えながらも、それでも自分を突き動かしている原動力は、「己の野望」そして「愛」だ。 


「自分は他の人とは違う、自分にしかできないことがある。未来に描く長島直紀の活躍は、社会を確かに動かすものであり、尊敬され、多くの人を笑顔にするもの。」 

という、痛々しく、壮大なる野望。詳しい内容は秘密。気が向いたら書く。 


そんなただの野望が一つだ。


もう一つは「愛」。
それはクラブへの愛であり、仲間への愛だ。よく恥ずかしげもなくこんなことが書けるなと、我ながら不思議に思う。


自分はいつだって、己の野望のために、自らの能力を示すために、合理的に効率的に、最短距離をスマートにかつ泥臭く進んできた。



それが今となっては。


合理的に考えれば今の自分の働き方は馬鹿だ。1円も出ないのに、命令する人間なんていないのに、一日中ア式のことを考え、大半の時間なにかの作業をしている。正直言って、大学の授業を真面目に受けていますなんて、言えたもんじゃない。生活のバランスなどあったもんじゃない。自分の野望だけ考えれば、ビジネス・商学の勉強やら、もっとクールで意識の高そうな活動やらに時間を割くべきなはずだ。


なのに、辛くても、他に楽しいことをする時間と心の余裕がなくても、クラブのために体が動くのは、ただただこの組織が好きだからで、仲間といるのが楽しいからだ。


クラブに所属する1人1人が幸せであってほしいと、心から願っている。そのためなら自分は誰に何を言われようが、心ない言葉を浴びせられようが、平気だ。


昔はもっと自分のことしか考えてなかったな。誰がどんな思いをしていようと、自らの能力が発揮されて、躍動できている自分がいればなんとなく満足で、努力をさらに積み上げることができていた。



大学2年、ハタチの10月。
自分という人間は、自分が考えているよりもずっと非合理的な人間なんだと知った。 

「サッカーとは、人生そのものである」

よく言ったものだ。本当にその通りだと思う。


サッカーは、意思決定のスポーツだ。


そしてその意思決定は1人ではできない。味方も、敵も、目まぐるしくその在り方を変える。


たった1人で行う意思決定なんかでは、105×68mのフィールドにおいて局面を変えることはできない。


自分を知り、仲間を知り、相手を知り、仲間と前提を共有して、設定を作って、戦略を練って、コミュニケーションを取り情報と感情を共有しながら、集団で意思決定を行う。


広大なピッチに、たった1人。
そんな中、襲いかかってくる相手を前にして、果たしてゴールまでボールを運ぶことができるか。


答えは明らかだろう。



今の自分はどうだ。
独りよがりになっていないか?仲間との繋がりの中から意思決定が行えているか?

選手としてのサッカー人生にピリオドを打ち、スタッフとして活動するようになって早2年。大事なものを忘れていたような気がする。



自分はここ数ヶ月、「サッカー的」ではなかった。



自分は「戦略的思考力」「リーダーシップ・求心力」に関して強い自信がある。自らの能力に関して、自負と誇りを持って生きてきた。


だからこそ、最大限その能力を発揮できる役割に就き、躍動することを自らの使命としてきたし、それが今、ア式蹴球部の可能性を無限に広げていると思っている。


クラブの成長スピードは上がってきた。ただその裏で、苦しい思いをする部員や不安を感じる部員は増えているかもしれない。クラブの発展を推し進めながらも、個々人の成長と幸福、そしてモチベーションをコントロールしなければいけない。


選手が休部や退部を申し出た時には、「不必要な改革を推し進めた自分のせいなのではないか」と眠れなくなる。組織の中で苦しんでいる人を見ると、「自分がいなかった方が良かったのか、余計なことをしてしまったのか」と、怖くなる。


組織の方向性を示し体現してきた戸田さんにも、もう頼ってばっかじゃいられない。




自分は、決して強い人間ではない。



不安だ。不安と過労で倒れそうになる。



自分は「サッカー的」ではなかった。

そこまでの役割を、仕事を、悩みを、責任を、1人で背負い遂行することがカッコいいと思ってやっていた。


しかしそんなものは、サッカーでは無い。


組織や社会の中には、1人でやってしまった方が楽な場面が数多くある。誰かに任せたり、共有したりすることが億劫であることの方が多かったりする。


きっとこれは、多くの場面で、多くの人に同じことが言えるような気がする。


でもそれは、自らの能力に対する「過信」である場合が多いように思う。


自分1人でやり切る、なんてのは、かっこいいことでもなんでも無く、「傲慢」なだけかもしれない。


少なくとも、サッカーの世界では。








人生とは、サッカーだ。
サッカーとは、人生だ。







サッカーから、多くのことを教わってきた。


苦しかったら、味方にボールを預けろ。
預けてから、もう一度走り出せ。
仲間と情報を共有しろ、11人の知恵を出し合え。


そうして生まれたゴールは、シュートを打った奴の点でなく、チームの点。

そんなの、よく考えたら当たり前だ。

長い長い、ひとりよがりのドリブルをしていた。そろそろ仲間を信じて、想いを込めて、ボールを預けてもいい。



「信じて託すこと。」



こっちの方がきっと、ゴールに繋がっている気がするから。

キーワードは「パス&ゴー」だ。

そうやって、ボールをゴールに近づけていこう。

人が去れど、チームは進む。
ボールは常にゴールに向かう。

時刻は24時15分。そろそろ終電が危ないから帰るか。


この文章を出す頃にはもう既にシーズンは終わり、クラブとして新しい挑戦、さらに面白い挑戦をスタートさせているはず。


新しいシーズンは、もっともっとみんなに頼っていくね。気がつくと抱え込んで、1人でドリブルを始めてしまう自分なので、時には叱って、励まして、支えて欲しいです。


さあ、最高の一年を始めよう。
誰にも止めることのできない、自分たちだけのチャレンジで、世界を驚かせてやろう。

長島直紀
商学部・新3年
兵庫県立長田高校出身

事業本部長、幹部会議長として、クラブの事業活動と組織マネジメントを統括する。スポーツビジネスやスポーツスポンサーシップを専攻し、その知見を大学スポーツに応用するべく、奮闘する。

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