変える何か、捨てる何か|杉田周
一橋大学ア式蹴球部3年、杉田 周です。
「周」と書いて「あまね」と読みます。
テストやらレポートやらを言い訳に、執筆依頼を貰ってから3週間近くが経ってようやく書き始めています。締切に間に合う気配は現時点で既にゼロです。原ちゃんごめん。
自己紹介のブログを書いて以来の執筆なので、入部してからここまでのことを色々書こうと思います。おそらく拙い文章が出来上がっていることと思いますが、生憎文才の類を持ち合わせていないのでどうかご容赦ください。
選択と変化
新シーズンが幕を開けてはや6ヶ月が経過した。当然、今年1月に思い描いていたものとは全く違う状況下に自分はいる。チームの戦績や雰囲気、自分の役割、ピッチ内外での振る舞い等々……
そうした様々な変化の中で自分にとって特に影響が大きかったのは、同期を含む数名の部員がチームを離れたことだ。チームを去った人も、復帰を前提に長期休部という形をとった人もいる。
なにせ「何かを変えることができるのは、何かを捨てることができるもの」なのだ。そんなことは百も承知のはずだった(年末にseason1から全話観返したし)。そして、彼らはこの部活動を捨てて何かを変えようとしている。その選択をした彼らに後ろ指を指すつもりも、彼らの後ろ髪を引っ張るつもりも毛頭ない。ただただ、自分には衝撃的だった。
それがきっかけの一つとなって、チームに残り続けている自分は何を変えられたのか、何を変えようとしたのかと考えるようにもなったと思う。
その変える何かとは、とりあえずピッチ内での自分に話を限ると、都リーグの舞台に立ち続けて活躍することを目標とし、それを達成するためにプレーの改善を試みることになる。
理論と感情
昨シーズンの開幕前、GKのプレー原則を直接的に教えてもらうという機会に恵まれた。これは本当に幸運だったと強く思う。この教えが、自分のプレーを改善する最初の、そしてとても大きな1歩になってくれた。
当たり前だけど、試合中のプレー改善は練習に求めるしかない。でも自分たちにはGKコーチがいない。ならば、フィールドと一緒に練習できるディストリビューション以外の要素は自分たちで練習を作成し、実施し、振り返らなければならない。
特に、練習作成を通して色々なことを考えるようになった。何気ないゴールディフェンスのトレーニングでも、シューターを立たせるゾーンは3つのうちどれにするか、GKのスタート位置と移動をどう設定するか、そのゾーンに合わせた適切な構え方ができるか。1対1の局面なら、フロントダイブ・フットセーブ・L字ブロックという3つの選択肢のどれに重きを置くのか、それとも適切な意思決定自体を主たる目的にするのか、シューターとの距離を3m以下もしくは5m以上に設定できるか(3mより遠く5mより近いエリアから打たれたシュートは、一流のGKであっても止めるのが難しいとされる)、など。挙げたらきりがないと思う。
自分で目的を設定して、それにそぐう練習を設計して、実施して振り返って、という作業は想像以上に地道で時間がかかるものだった。
ただ、そんな地道な作業のおかげでできるプレーは増えた。確実に。
ついでに、プロの試合や練習映像を観るときの楽しみも増えた。超一流のGKの間にも、プレー選択に違いがある。プレミアリーグで活躍するアリソン、メンディ、デヘア、ラムズデール(マニアックな話でごめんなさい。レノの影響か、イングランド国籍の彼のプレーに「ドイツ式」を感じるのは自分だけでしょうか?) の4人も、それぞれ多かれ少なかれ異なるプレー基準を持っているように見える。それに気づいてからは、彼らのプレー一つ一つをより注視するようになった。もっとも、今シーズンはどうやってプレミアを視聴するか、が最大の関心事ですが。
なんて偉そうなことを書いてきたが、いざリーグ戦の舞台に立つと、自信を失うことも、情けない思いをすることも、申し訳なさで一杯になることも幾度となく経験している。それが現実だ。ほとんどのプレーがスコアに直結するポジションの宿命でもあることだが、たとえ適切に足を抜いてコラプシングができても、どちらの手でボールにアタックするか適切に判断できたとしても、止められなければその意味は限りなく小さくなる。「何にも変わってねえな、お前は」と思うことも少なくない。
とはいっても、練習や試合のなかで自分にできることを探して、それに真摯に取り組んでうまくなろうとするしか道はない。自分の不甲斐なさや情けなさから目をそらさず正面から向き合わなければならない。そうして自分のプレーを変えなければならない。そのために今後いろいろなものを捨てることにもなるだろう。それでもやるしかない。
責任と感謝
最後に、都リーグの開催にかかわるすべての方々、毎週末あのような舞台を用意してくださり本当にありがとうございます。
リーグ戦のピッチに立つことの責任と感謝を胸に、まずは、自分が(そして仲間が)捨てた何かではなく、変えた何か・変えようとしている何かに目を向けられるようにするところから始めようと思います。
執筆にあたって字数の上限は特に設けられなかったし、Wordファイルには余白が無限にありますが、書きたいこともなくなってきたので。
ここで終わりにしたいと思います。
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