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ととのう |北西真之【#卒部note】

北西真之
大宮アルディージャU18出身

優れた技術・身体・頭脳を駆使し、攻守両局面でゲームを支配。そして何より、いかなる状況でも声を切らさず、チームに活力を与える振る舞いを見せ続けた。

良い時・楽しい時には誰よりも喜びを表現して空気を作り、悪い時・苦しい時には誰よりも闘い鼓舞し空気を変えた。

仲間の誰もが誇る、俺たちのキャプテン。

北西真之の最後のメッセージ。

昨年の年末は久しぶりに家族で団欒。それぞれの「今年を表す漢字」がトークテーマになった。

頭に浮かんだのは「」。

理由を聞かれ、真面目に答えるのはなんだか恥ずかしく、「今年はたくさんサウナで整ったから。」と仰向けのまま答えた。たしかに、静岡市にあるサウナの聖地へ何度も訪れていたのだから嘘ではない。

ただ、「整」を選んだ本当の理由は、サッカーへの思いに「がつき、社会に出る覚悟ができたからだ。サッカーをやってきたことが、これからの人生の糧になる、そう思えたからこその感情であろう。そして、このような貴重な気づきを与えてくれたア式での思い出を、ここに記しておこうと思う。




大学2年生のシーズンが終わり、新チームが始動する前のことだったと思う。今は懐かしいバイト先でいつも通り暇を持て余していると、いつも通り椅子に浅く座る同期が「すごい人がきてくれるかもしれへん」と興奮気味に教えてくれた。
それから1ヶ月ほどが経ち、土の小平グラウンドで初めて戸田さんと出会った。そして、会話の中で「このチームで君が一番変わらないといけないかもね。」と言ってもらった。その言葉に面食らいながらも、嬉しかったのを覚えている。この言葉があったからこそ、昨シーズンの抱負は「あるべき姿を示し続ける」にしていた。このチームで誰よりも真摯に課題に向き合ってやろうと。




失敗を受け入れて、それを乗り越えていく。言葉にするとこんなにも簡単そうだが、非常に難しかった。まずは、次につながる失敗をすることが難しい。ここでは、このような失敗を「挑戦の産物」と呼ぼう。身の丈に合っていないところでちょっと背伸びをし、失敗する怖さを背負い、はじめて「挑戦の産物」が生まれる。
次に、せっかく手に入れた「挑戦の産物」を受け入れる場面でも壁とぶつかる。貴重なフィードバックにどうしても言い訳をしたくなる。不思議なことに、それが正しいと自分でわかっていればなおさらそうなのだ。
そして、ここをクリアしたら、乗り越える段階になるが、ここでも強い忍耐力が必要になる。なぜなら、時間がかかる。無意識でやっていることに意識を向ける、できるようになったと思ったら、また同じ失敗をしているなんてことが当然にして起こる。




階段を登っては、時に突き落とされて、また登る。このような2年間を過ごさせてもらって、3つばかり感じることがあった。




一つは、挑戦することが怖くなったら、長期スパンで物事を捉えなおしてみることである。
リスクとリターンの検討をすることは言わずもがな。その検討を経て、試す価値があるとわかっているのに、足が前にでないこともあるだろう。そんな時にどうすればいいか、昨シーズンの自分たちは教えてくれている。昨年は何度もチャレンジして、何度も失敗した。練習が、試合が終わって、情けなさで下を向くしかなかった日も多かったはず。しかし、その度に、次に向かう努力をチームでしてきた。その結果、どうなっただろうか。開幕戦から最終節までどういう軌跡を辿ってきただろうか。たしかに失敗することは苦しい。だが、その苦しさと乗り越えた先にあるものを比べみれば、前向きな一歩を踏み出せるのではないだろうか。

もう一つは、弱い自分を受け入れることが強さだということ。
自分はもともと、弱さが出てきやすいタイプだと思う。そして、この弱い自分が顔を出した時には必死に隠そうと、消そうとする。失敗することが怖いのも、フィードバックに言い訳したくなるのも、弱い自分を隠したいからなのかもしれない。しかし、残念ながら、弱い自分を隠そうとすればするほど、その存在は大きくなる。そして、思考が停止する。何を恐れているのか、なぜ言い訳したくなっているのか。それを知れば、弱い自分を払拭することはできなくても、共存していくことくらいはできるだろう。

最後は、自分がコントロールできることに集中すべきであり、それができていればどんな結果も納得できるし、次に向かうエネルギーになるということである。
より多くのことをしたからといって、より多くのことを得られるわけではない。結果がでなくてつらくなったら、この学びに立ち返り、やるべきことに忠実でありたいと思う。




このような教訓をもって、学生から社会人へと立場を変える。これからの人生も変わらず、この階段に居続けたい、いや居続ける。ただ、これからは行く先を自ら決断しなければならない。誰も教えてくれない。自分がどんな人間になりたいのか、何を成し遂げたいのか、そのために何をすべきなのか、ずっと考え続けなければならない。そうした先に何があるのか、それを知るのはまだまだ先のことで。




最後に、お世話になった方々への感謝の言葉でこのブログを締めたいと思います。ここでは大学3年以降のことを中心に書きましたが、これまでの20年近いサッカー人生でたくさんの指導者にお世話になり、先輩に面倒を見ていただき、そして同期や後輩に支えてもらいました。本当にありがとうございました。

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