見出し画像

1/3の純情な感情


雨宮まみさんの最後のほうのコラムは強烈だった。何度読み返してもちょっと理解が及ばなかった。

終わらない恋愛がほしい、何度痛い目にあっても美しくデコレーションされたろくでもない男に引っかかってしまう。本気で振り回されることをどこかで望んでいる。ほかの女と自分を比べてしまう瞬間がいちばんつらい。なぜあのように生まれなかったのだろう。

40歳がくる! 第13回 「恋愛、どうする?」

彼女が亡くなってからすべての回を読み直してみたけれど、どれもこのエッセイには勝てなかった。ペンネームのとおり「雨」のにおいが似合うひとだなと思っていたが、この言葉からにじみ出るのはどしゃ降りの女だ。


彼女の経験上、自己評価は常に低かったという。お前はダメなんだ、これくらいの扱いが普通なんだと相手に追い込まれるのは今でいえばモラルハラスメントだろう。私とあなたは対等である、となぜ言えなかったのか。

あれだけ悪い男にひっかかり、振り回され、あんな思いは二度とごめんだと、何度も死ぬような思いをしたくせに、変わらないのだ。「病気になるからこれ以上甘いものを食べちゃダメ」と言われても、ケーキのガラスケースばかりを見つめてしまうように、好きなものは好きなのだ。私は、ガラスケースに入った、魅力的でふしだらで、女癖が悪く、だからこそ女をよく知っていて、女の扱いに長けているような男をじっと見てしまう。

苺やクリームで胸やけがするほど過剰にデコレーションされた男たちに強く強く惹かれてしまうのは、たんなる恋愛体質なのか、マゾなのか、生存本能が弱いのか。「ダメになる」相手から足を洗えないひとは案外多い。


友人(男性)は自分を「恋愛体質」だという。フリーのときは恋人未満でつかず離れずの相手が必要だったし、特定の交際相手がいれば一緒に過ごす時間を大事にする。お互いのスペースには踏み込まず、依存はしない。ただし別れたくとも「次」がなければ行動にでない。自分から別れは切り出さないという徹底ぶり。日常に「恋愛」がなきゃいやなのだそうだ。かれは20代の頃「ダメになる」相手ばかりを選んでひどいめにあっていた。自傷行為に似ているなと思いながら相談にのっていたが、相手の暴言が度を越した人格否定にまで及び、「このまま交際を続けると体も心もすりへる」と気づきようやっと別れた。心の痛みが愛や生きてる証拠になる、というのは一種の洗脳教育だし、そうなったころには相手の支配下に置かれている。理不尽なシーソーゲームに幸せはやってこない。


私は恋愛を生活の中心に置かないし、相手を振り回そうとも思わない。恋人ができれば誰だって自分の生き方に自信が持てるだろうと勝手に思っていたら、そうじゃないよと突きつけられた。恋人=パワードスーツを手に入れた!!と思うか、このひとはいつ離れて行ってしまうんじゃないか…と不安になるかの違いなのか。

甘えるのが下手で、本音を言うのが下手で、めんどくさい女だと思われるのが怖くて不満を言えない。言うときには不満がものすごく溜まっているから、すごく嫌な言い方になる。かわいげなんかどこにもない。

ここら辺、雨宮さんとまったく同じタイプなのに、どうしてこうもベクトルが違うのか謎だ。私は生来の楽天家だがペシミストでもある。明日はないと思ってるし、こちらの想いが正しく伝わることなんかなくて、受けたほうの感情がすべてだと割り切っている。壊れるほど愛しても三分の一も伝わらないんですよ!!!


苺やクリームでたっぷりデコレーションされた相手に振り回されないにはどうするか。「いい女」「いい男」でいられる相手とつきあうことだ。それが見つからない限り、無理やり恋愛しなくてもいい。私は「このひとのためなら死んでもいい」という相手が3人いる。家族でも恋人でもないけれど、長い付き合いで、私を上等な人間に押し上げてくれた。かれらのためなら海千山千、なんなら寿命だってくれてやる。人生に彩りをくれるひとがいれば、生きる自信が湧いてくる。雨宮さんのようなひとが少しでも穏やかに生きられますようにと、思った次第。




いただいたサポート費用はnoteのお供のコーヒー、noteコンテンツのネタ、映画に投資します!こんなこと書いてほしい、なリクエストもお待ちしております。