見出し画像

いぬとわたし

しばらくログインしていない間にnoteのロゴもエディタも変わっていた。cakesがなくなり、掲載されていた記事がこちらへ移転したり、デジタル庁や東京都をはじめ公的機関がnoteを使いこなしているのをみるとちょっと嬉しい。最近はカスタマーサクセス関連の記事ばかり読んでいる。仕事上必須というか、SaaSで生き残るために営業だけじゃなくオペレーション側もこのあたり理解していないとね、というプレッシャーから。

今日はいぬの話。生涯年齢とかお金とか病気とか生々しいコンテンツなので、合わないかたはここでタブを閉じましょう。

私が生まれたころには両方の祖父母宅にいぬが一匹ずついた。田舎のほうは病気で早逝してしまったが、東京のほうは10歳をこえて長生きした雑種の大型犬。私がちびのころ、そのいぬの背中に乗っかった写真や、握手をしている写真がたくさんあった。ベビーベッドの傍でずっと子守をしていたらしい。泣くと居間のおとなに知らせに来て、ミルクのついた赤ん坊の口元を絶対に舐めなかった。老衰でなくなるまで散歩もいってごはんもたべるこで、祖父母にとてもとても大事にされていた。

自宅には私が3、4歳のころトイプードルがやってきた。西友の前でケースに何匹もまとめて売られており、たしか1匹10万円近くしたらしい。白い目でみながら通り過ぎた家族だが、帰り道に同じいぬが2万円でたたき売られているのを目にする。当時西武ライオンズが優勝すると西友はアホみたいなセールを行っていて、その一環だった。ボックスにのこった2匹、うち端っこでふて寝していたやるきのない子を親が気に入って(哀れにおもったとは父の談)その日のうちに連れて帰った。ケンタと名付けられたそのいぬは私と妹の兄貴みたいな存在で、3キロもない超小型ミニプードルだったけれど14歳くらいまで病気もせず長生きした。唯一の欠点は歯周で当時は歯磨きガムも与えていなかったので、あくびするたび毒の沼みたいな匂いがするいぬだった。
その次、ミニプードルの相方としてきたのコーギーのおす。私が10、12歳くらいのときやってきた。ペットショップからだったと思う。これも親曰く、箱のはじっこでやる気なく愛想なく寝そべってた子いぬだった。プードルいぬとは師弟関係を結び上手くやっていたが、プードルが亡くなってからは我々の甘やかしが激しくなった。おっとりしてひとなつっこい、とにかく天使みたいなコーギーだとみんながいう。名前はチビ、来たときは手のひらに乗っかるくらいのサイズだったので。
後半、椎間板ヘルニアを発症して、記憶があやふやだけれど手術もしたと思う。その後寝たきりになり、亡くなるまでの3年近くは介護必須だった。最も在宅時間が長い母がカバーしてくれたが、3時間ごとの夜泣きや世話をメインでしてくれた母には感謝しかなくて、彼女の心づかいとサポートがなかったらあんなにもたなかったとおもう。このこも10歳くらいまで生きていた。
この間、実はもう一匹コーギーが増えている。前者が天使ならこっちは悪魔のようないぬで、可愛さが30%、狂暴が70%でできているタイプだった。私が日本を離れている間にやってきたので、家の中では私は最下位。悪魔ことシンタローはやんちゃと言う言葉には収まらなかった。何度嚙まれたかわからない、と家族も私もいうけれど、なんだかんだこの狂暴ないぬを愛していたので一緒にすごした。あまりにも吠えがひどいので獣医と相談し声帯をとった。が、3年後に小さい声で吠えるようになり人間たちを震撼させる。牙を削ってもらっても顎の力がすごく、噛まれるたび我々には傷跡が残った。このこもヘルニアに近い、腰をいわす(胴長短足の犬種によくある)事象が発生した。一度しにかけ、戻ってきてそこから1,2年ほど生きた。介護フェーズはほぼなく、あまり手をかけずさくっといってしまった。とてもあの子らしい。まあ長生きした方だと思う。

このあと数年して、生家にはまたいぬがいる。私は年に1,2度しか顔をあわせないが、病気らしい病気もせず元気にやっているらしい。できるなら10年といわず15年くらい生きてほしい。

現在、私のてもとにはミックスのいぬがやってきた。IGやtwitterにたまにあげるので、友人はみてるかもしれない。宮古島の多頭崩壊からレスキューした、台湾犬っぽさがあるこだ。10日間の保護犬トライアルを経てやってきたのが2022年2月、まあ1歳くらいだろうとあてをつけて育てている。秋に肥満細胞腫がみつかり、この数か月は腫瘍を取り除く手術と、抗がん剤治療を継続中。c-kit遺伝子がないので、既存の安い薬がきかない。というわけで毎月治療に10万円くらいかかっている。
次に試す治療薬によっては月6万くらいに収まるかもしれない、と獣医さんはいうけれど、人間側の予算もあるので(宝くじがあたらない限りは)今年いっぱい治療ができればいいかなぁという展望である。ルーチェ、イタリアの有名な赤ワインから名前をつけたいぬは、真っ白でいぬみしりなお嬢さんだ。これを書いてるいまも向かいのソファでのんべんだらりと寝ている。

いままでいろんないぬを飼ってきて、親がだしてくれた生活費も治療費も知っていたつもりで、しかしその苦労はわかっていなかったと痛感している。こうして自分が責任者になると「もっとなにかないか、できないか」と思ってしまう。その反面、人間の生活を崩さないぎりぎりのラインの少しうえをキープするにはどうするか、MoneyFowardと睨めっこだ。通っている大学院の学費一括払いをやめて、教育ローンにする。株主優待のなくなったオリックス、塩漬けにしておいたETFと投資信託を手放す。会社のESPPを売却する(ありがたいことに利益がでていた)いろいろやって100万くらい現金を準備した。明日は除災招福の祈祷に行くのですこし希望がみえてほしいなと思うばかり。

ありがたいことに上司や同僚はいぬねこと一緒なメンバーが多いのでいろんな相談ができるし、理解も早い。上司にいたっては疾病休暇をいぬの通院に使ってもいいよ、といってくれた。住む国は違えど家族の形が違っても、思うところは同じだなと嬉しく思う。

いぬでもねこでもうさぎでも、ペット(という言葉は好きじゃないが)を家族の延長線上に迎え入れるとき、ライフサイクルは決して思うようにいかない。そのために諦めることだってたくさんある。でも、それでもしあわせを運んできてくれる存在なら、かかるコストは数字で測れないのだ。

2023/8追記
この真っ白ないぬは夏が始まる前に去ってしまった。実質二年も共に暮らせなかったけれど、いままで同居したいぬのなかでも最も短く、かつ最も濃ゆい時間を過ごせたのではないかなと勝手に思っている。レアな肥満細胞腫に見舞われ抗がん治療を3種類も試し、毎月病院へ通い金銭もやりくりするためなかなか苦戦したのだが、そんな人間の気持ちを裏腹に腫瘍の痛みも体力の衰えもみせずいぬはなくなる直前までとってもとっても元気に公園を走り回っていた。当初動物病院の先生曰く今年の頭までもつかわからん、といわれていたけれど、しっかり半年はもってくれた。ごはんを食べられなくなったのも最後の数日で、最後の瞬間まで手がかからないタイプだった(当社比)夜寝る前に容態が急変し、我々の腕のなかであっさりいってしまったのだが、この目でみおくれてよかったなとしみじみ感じてる。夜中のうちに葬儀屋を手配し翌日火葬してもらい、骨壺を家に置いている。写真に話しかけていたらまれに家の中をいぬがダッシュする匂いがするので、お盆に帰ってきているのだろう。
いま、別のご縁で身寄りのないレスキュー犬を引き取らないかという話がきている。悪質なブリーダーが日本中にたくさんいるのでこの手の話は後を絶たない。いぬがなくなる前にオーダーしていた未開封のペットシーツ、なくなる数時間前に買ったばかりの新品のニトリのクールマット。見向きもしなかったおもちゃたち。小型犬には大きすぎるクレートとケージ。これらが活躍する日がくるのだろうか。家族や友人とはよくニャンニャンネットワーク・ワンワンネットワークの話をする。さっさと天に昇ったいぬやねこは「あそこの家おすすめだよ」と次の候補を送り込んでくるのだと。彼らのレビューを信じて、またどこなの見知らぬいぬとご縁があることを祈っている。

表紙は Unsplushより
https://unsplash.com/s/photos/dog-people


いただいたサポート費用はnoteのお供のコーヒー、noteコンテンツのネタ、映画に投資します!こんなこと書いてほしい、なリクエストもお待ちしております。