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社畜と呼ばれた女

たまには仕事の話をしてみます。
なぜなら路頭に迷っているから。

今の職について17年。
半年以内に18年目に突入する、云わばお局な私は それまで飲食店やコンビニのバイトしか経験していなかったのに、想像もしていなかったオフィスレディとして働いている。

お昼休みには長財布を小脇に抱えて小走りにコツコツ言わすイメージだったOLも、実体験を基に完全に覆された。

私の部署はほとんど外部と関わりがないので、社会人にしては服装も髪型も自由な方。ヒールなんか履いた日には捻挫するような私も、運動靴で出勤できるフランクな職場だ。

もちろん出張だったり、他事業所の人と接する機会があることが事前にわかっている日は それなりにちゃんとした服装や髪形を心掛けてはいるものの、ド派手な色じゃないとか、柄物をチョイスしないとか、ジーパンはやめるという程度のもの。


記憶は曖昧だが、35歳を超えたあたりから「いかに目立つか」よりも「年相応のファッション」を公私ともに心がけるようになった。

自らも選ばれる側の残り物なんだと自覚したが故に、「年相応」にキレイを心がけることは婚活の一環でもあったものの 最初のうちは個性が死んだような気もして物足りなかった。
しかしながら結果、年を重ねれば重ねるほど 見た目の存在感が目立つ事よりも評価はされやすいものだと実感した。
生きやすくもなったし、年相応を目指したにも関わらず褒められることも増えてしまい、逆に一般的な美しさをキープする努力も楽しくなった。


私がしたいのは仕事の話です。
逸れました。


まだ私がド派手に浮いていた頃、仕事はとんでもなく忙しくて、毎日夜の21時や22時を超えても会社にいることがほとんどだった。
時期によっては休日出勤もしていたし、日々が36協定とのにらめっこで、平日全力疾走で働いて土日にくたばるという毎日を過ごしていた。

当時はまだ祖母の介護や愛犬の看護も並走していて、私も実家暮らしだったし、ひたすら気の休まる時間はなかったから、もちろん婚活なんてする時間も気力も体力もなく、どんどん時間だけが過ぎていく日々であった。

それでも私は、頑張っている自分がどこかで好きだったし
自分がやらないと回らない仕事も多かったし
必要とされていることを実感することで頑張れたりした。


自己肯定感が皆無だった自分にとって、唯一親の力を借りずに自分で判断・実行できる唯一の事柄が仕事だったおかげで
どんなに辛くても大変な思いをしても、私は「仕事をしている自分」に依存していたし、自力で行動した結果会社からの評価を得られる事に対して、そこにどんなリスクが含まれようが満足していたと思う。

身も心もボロボロになるまで そんな風には思っていなかったし、それでも私の居場所はここにしかない と信じ込んで、どんどん自分を犠牲にして仕事に打ち込んでいた。


それはまるで、私に執着して世話を焼く母のように

そのことに気付いてからは、少しずつ冷静さを取り戻して、然るべき距離を置いたり、人に頼ったり甘えたり できるようになった。



今、とても仕事が暇である。

メインの仕事と、サブの仕事があって、それとは別に時々出張があって。
サブの仕事は退職者から引き継いだもので、私以外にメインで担当しているメンバーもいる。

メインの仕事は、私がこの会社に入って17年間続けてきたもの。
時には気が狂うぐらい忙しくて 朝入れたお茶を帰りまで飲めないような日も続いたのが今は懐かしいぐらい。

こうして平日の昼間にnoteを更新できるのも、信じられないことに業務の傍ら隙を見て書き殴っているから。



信じられない。
仕事中に人様のブログを読んだり、自分のブログを書いたりできるなんて。

自宅で用意したお茶もコーヒーもちゃんとなくなるし
勤怠工数と闘いながら仕事を調整していた日々が幻のように、ほぼ毎日定時に脱獄を図っている。


入れ替わりが激しすぎて常時教育から逃れられなかったチームメンバーも、ある程度固まって落ち着いて各自が単独で業務をこなせるようになった。

いろんな業務が全社統一になって、拠点で受ける問い合わせも減った。

ご時世的に出勤率が減ったり、在宅勤務開始パニックも落ち着いて(社員が在宅勤務できるように準備する側の部門なもんで)日々の問い合わせも激減した。


暇になる要因はたくさんあるものの
想像を超える業務量の差に、いささか戸惑いを隠せない。

ザックリ数値的に
300件を4人で捌くのが日常だった時代から
20件を7人で取り合いしているような現在。

最初のうちは落ち着いていることに安堵して、これまでできなかったマニュアル作りであったり手順書の見直しであったりを黙々とこなしていたが
それも数か月経過すると、すべて手をかけ尽くしてしまい手持無沙汰になってしまう。

何もやることがない時間が増えれば増えるほど、仕事に対するモチベーションはどんどん下がっていった。


 暇だからブログがかける
 忙しくないからラッキー 

なんて思える性分ではなくて
忙しくしていることで、時間に追われて働くことで、私は会社員としての自信を保っていたんだな と改めて感じた。


今年の夏、それまでチームの取り纏めをしていた 私の中で数少ない「業務上信頼のおける人」から、取り纏めの交代を打診された。

もともと彼は、業務も人間関係も崩壊している我がチームを救うためにやってきた人で、業務も人間関係も改善した今、私にとって将来的にプラスになるのでは と考えて交代を提案してくれた。

最初から、その場所で経験のなかった取り纏めの彼と
経験値だけは人並み以上に積み重ねていた私は
文字通り二人三脚でチームをまとめたり業務を回したりしてきたわけだけど

9月に実際に交代した後、私は別(サブ)業務の引継ぎや出張が重なり、結果的に取り纏めといえるような作業をほとんど実行できずに今に至っていて、旧取り纏めの彼が「昔も今も二人三脚だから」と言って代行してくれることが多かった。

私は、理由はあれど、自分の与えられた任務をこなせていないことに対する罪悪感を少しずつ蓄積させるとともに【取り纏めを交代した意味】や【自らが取り纏めには向いていない現実】について考えたり思い詰めたりするようになって

それに加えて、気持ち悪いぐらい落ち着き払った通常業務の中で、業務改善も何も誰も困ってもいなきゃ忙しくもないという現実と向き合うことにより、どんどん仕事のやり甲斐を見失っていく自分に気付いていた。



私はいつまでこの仕事を続けるんだろう

寿退社を目指して、業務改善を目論見て、あえて期限のついた一般派遣という選択をしたものの

いざ少しだけ結婚を考えるようになって、改善する点がないほど困っていない業務を日々こなしながら、毎日「頑張った自分」を実感することもなく家に帰るようになって、猶更考えるようになってしまった。

仕事が忙しすぎて、私生活のいろんなことが疎かになってしまっていた時に考えていた同じ思いとは、なんだか非常にかけ離れている気がする。


 こんなに仕事に人生を捧げていたら
 たとえ結婚できても
 ご飯を作って旦那様の帰りを待つことなんてできないし
 心にも体にも余裕がない状態で
 誰かを大事にすることなんてきっとできないし

 結婚するなら、この仕事は続けられないな。


って、10年以上も思ってたのがもう夢みたい。

今の状態ならできる。

できるけど、できるのに

私は仕事へのモチベーションが上がらないことで、別の不甲斐なさを感じているんだから 人生ってやつは不思議で仕方ない。



人間の気持ちなんてものは、環境や年齢で簡単に変わってしまうものだなとつくづく思う。

心も体もボロボロだった地獄の繁忙期に戻りたいとは思わないけど、仕事中にブログを更新できてしまうほどの手持無沙汰な毎日を過ごすのはとても苦しい。


いつまでも私の世話を焼く母が用意してくれたご飯を食べて、片付けもしなくていいから帰れと言われた日に
どうしても家を出たかった頃の自分が感じていた「私は自分で自分のことが何もできない」という劣等感が数倍にも膨れ上がってのしかかってくる夜みたいに


暇な仕事は楽だけど
自分が何の役にも立っていないような気持ちになってしまうのは、少し似てる。

私はいつだって、母には素直に甘えられない。
甘えたくないという気持ちが勝ってしまう。


今、チームのメンバーが私と同じような不毛な気持ちを抱いているのかどうかは正直わからないけど
必要以上にいろんなことを考えて思い詰めて自分を責めるのが得意な私としては、耐え難い ≪暇≫ なんであった。

暇な毎日は
考える時間も無駄にあって、困る。



私が今ギリギリ感じている仕事へのモチベーションや誇りは、出張がなくなってしまったらゼロになるんだろうな。



今こんなに暇なのもきっと一時的なことで
年度末になったり新年度になったり、新たなIT的イベントが開催されればまた忙しくなるのはわかっているけど

今こんな風だからこそ、きっと再び訪れる繁忙期の前にチーム員が減らされることはもう決まっていて

その時の心構えも上手にできないぐらい、私の精神状態が「チームの取り纏め責任者」として機能していない気がしてる。


私はたぶん、仕事がしたい。
楽して働きたいわけじゃなくて、ちゃんと頑張りたい。

ちょっと辛いぐらいが、たぶんちょうどいい。



たぶん、仕事人間という称号が
精神安定剤になりすぎた。

もうちょっと気楽に、この≪暇≫な時期を満喫出来たら、モチベーションも維持できるのかな。


がんばろ。




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