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生きる価値ゼロと思ってたわたしの、私にしかないもの、今のわたしだからできること。に辿り着いた話。

今の私だからできること。
それは、わたしという1人のちっぽけな人間が、
大切にできる一握りの人たちを、
わたしが最大限できることをして幸せをまもること。自分が幸せでいること。
今はそれがわかる。


何の価値もない、こんなダメな人間が存在してごめんなさい…もっと頑張るから…。
生きていたい。でも、私が居なくなればみんな困らないし、怒らなくて済んで、笑顔になれる…幸せになれるのかもしれない。
そう思い続けてた私。

今思えば、1人の人間に独りで全てを助け、こなせる力なんて無くて当たり前なのに、そんなつもりではないとはいえ、スーパーヒーローが力に溺れた瞬間の失敗と後悔のシーンをずっと、どんなに頑張ったとて、無敵になんて誰もなれないんだということには気付けないままループしてるかのようだったな…とか思う。
そんなに全部お前のせいだなんて、言われてもないのに…

たった一人、
「あんたがそんなんだからお母さん、また病気になる。」
そう言って私が18の時ガンで他界した母。
その言葉は、小学生くらいには物心ついてきて、ショックだったのを覚えてる…。「もっと私がお母さんの良い子なら。迷惑かけなければ…。好きになってくれるかな?笑ってくれるのかな?私がこんなダメな人間だから、お母さんが死んだ。こんなダメな私のせいで誰かが死んでしまう。」その呪怨のような言葉が染み付いてしまってたのだろう。
母は、私が生まれるより前から、ノイローゼ気味だったらしい。幼い頃、あまりちゃんと目が合った記憶もない。

今の私は、
子どもができて母になって17年。
今でも2歳の末っ子のオムツ卒業のためトイレトレーニングに励み中。
5歳児のご飯の好き嫌いに悩む。
小学生になった三女は勉強嫌いで宿題も進まず、
来年中学生になる次女は思春期真っ只中。
申し訳ないが、来年受験の長女には構う間はない。(おかげか一人っ子状態で育った甘えん坊の長女がだいぶ成長した気がする。笑)
給食のおばちゃんか?!!という量の買い出しとご飯を作り、
「ん?大丈夫か??!変な音する??入れすぎた??頑張れ!まだ頑張ってくれ!」
とかわいそうになって話しかけてしまうほど
1日何度も大量の洗濯をする洗濯機。

美化なんてしない。ほんと、トイレに少し1人にさせてくれ…
病むほど苦痛に感じてしまう。
「もう!うるさーい!たまには「ママー!」じゃなくて、ほかに呼べんのか!」
ママという愛称を辞めたくなる。笑

旦那としか話してないから、家事育児のモヤモヤぶつけてるだけな気がする…申し訳ないな…
子どもじゃない人と子ども番組や、JKじゃない内容を話したいな…
気を使わず買い物も自由にしたいし…
早く外で仕事したいな…
でも…今の家の仕事量で睡眠削ってって…絶対家が大変なことになる…ダブルワークして夜勤で寝なくても昼間育児と家事までできてた20代の、若さでなんとかできた時と違って…身体もボロボロだし…

はぁー…
踏み出せない八方塞がりな感じ…

子どもができると、女の人からお母さんになる生活は一変する。
やっと自由に羽ばたき始め、夢半ばの目を輝かせてた環境からの、突然の入院生活と、嘔吐を繰り返し引きこもりの日々が始まる。もちろん、男性側も心持ちは変わるでしょう。
("変わりたくない宣言"をしたお父さんも居たけど…笑)
お母さんになるということは、お腹に子どもがいる限り、命を産む決断をすれば、自分より、ここにある命のため、お母さんへ変わっていくしかない。

幸せなこと。

それと同時にくる、寂しさ…
社会と切り離された感。

自分がしたかったことを何年も何回も仕切り直し、なんとかついて行けるように、あの場所へ戻れるように…たくさん考えた。たくさん、"今の"あ…また…じゃあ"今の"…って自分にできることを考え直す。

もがいてるなぁー…
わたしの性格だと、いつでも今すぐやり直せる、やれる、後悔しないようにやるべき!って気がしてたから…
若さがあったな…って思う。笑

でも、何を怖がって焦ってたのだろう…。

隣の芝生の青いところばかり見て、人のルールばかりに目を向けて自ら縛り、
…自分の庭に咲いてる花にも気づけなかった。

なんとかしなきゃ!と、自分にも周りにも過期待になって、無理矢理自分や相手を追い込んでた。
神経すり減らしてでも関わる全ての人の機嫌伺いとか、道徳に見せかけた誰かのためのルールに従わなきゃとか、何か起きないようにとか、失わないようにとか…無意味に怖がってた。
そんなことより、
大切な人たちと今をめいいっぱい幸せに過ごすことが、何があっても後悔とかせずに、これでいい。間違いではない。って無理矢理じゃ無く、ストンと腑に落とせて居られるのかも。

たくさんの人たちを幸せに、笑顔にすることに憧れて、社会に、20歳の頃の自分の思いに必死にしがみついてだけど…
その間にたくさんのことを得ていることに全く気づけてなかった。
あの思いは、母に笑顔になってほしいと願った、幼少期の私の思いだった。

無くしたものばかり見て、今ここにあるものこそが、自分が生まれるより前から望んでたものだということに気づけてなかった。

今得ているもの。自分にあって当たり前すぎて、でも明日失うとしたら?
ずっとあって当たり前のものなんてない。
たくさん学んだ。
今、また、1番大切で、失いたくないもの。
あ、欲を出して、10番目くらいまでは失いたくない。笑
でも、20も、30も失いたくないものの中から、優先すべき今しかできないことが必ずある。(エゴ(心や肉体の危険回避のため、不安から生み出される空想)が邪魔してなかなか心へ辿り着けなかったけど…)


今のわたしは、
"今生きている"ということを、
手を伸ばせば温もりがあって、一緒に過ごせる人たちが居てくれることを、
もっともっと楽しむことだ!💖

朝焼けや空気、心が温かくなれることがたくさんあること。
誰かだから与えられてるとかじゃない。
それに気づけること。

こんなに時間をかけてしまったけど、何度も何度も気づけるための試練があったけど、支えてくれてるものに気づいて、感謝に気づいて、あとは自分が自分を諦めなければ、開けない夜は無かった。

あの頃のこだわりは…
少しずつどうでも良くなりつつある。
誰かの幸せや笑顔だけを望むなんて無理なんだ。
自分も一緒に幸せじゃないと。

また、この大切なものを手放さなきゃいけない日もくる。
でも、ルール、世間体、誰がどう思うかなんて不安を全て取っ払って、自分の心にちゃんと聞く。
失うときもくる。立ち向かう壁もくる。でも、それでも、私は"今は"どうしていたい?

そう、ちゃんと自分と向き合える。
ダメじゃん!ってなる自分をも笑えるようになった。

お母さん、次生まれ変わってきたら、たくさんの愛をちゃんと受け入れられると良いね!
私も、お母さんも思ってるはず。

してしまったこと、たとえ世間で罪と呼ばれることを犯したとて、ちゃんと受け入れる。
そのまんまの自分。
私はこう思う。
私はこういう姿。
私は羨ましい!
私は誰かを傷つける。
それは、全ての生き物がそうして生きてる。
生きるため。
それで良いんだと、目を逸らしたり、逃げなくて良いということ。
ダメな自分って思っちゃう自分でさえ、もう、愛おしくて良い。

それが生きてるってことなんだ。
私たちはこの地上に生かされてる。
誰がどんな価値で見ようとも、自分でレッテル貼ろうとも、
生きてるだけで意味があるのはそういうことだ。

私は、ネガティブで、誰かを傷つける。生き物を殺したべる。美味しいと感じる。愛し方も、愛され方も、コミュニケーション能力も皆無で、人の気持ちなんてこれっぽっちも分りゃしない。
それを否定したかったのは自分だ。
でも、それで良かったんだ。
そんなひっどいと思える自分が、まだやりたいことも、楽しみたいことも、こんなんじゃ無くて、もっとこうだったら良いのにって願いや欲があって、それでも生かされてる。
そんな自分だから、前世死ぬ時、あれほど望んだ生き方にたどり着いてきた。

過去のあの寂しさはもう2度とごめんだ!って。

今度生まれ変わったら、手を伸ばせば届く距離にいる人たちの大切さに、ちゃんと気づいて、他愛のない望みで、みんなでわらって過ごせますように。

その思いをやっと思い出せた。

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