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NEXT対談:松本紹圭×木村共宏「Withコロナの寺院運営」 第2回

新型感染症拡大の影響を受け「未来の住職塾NEXT R-2」は、完全オンラインで講義を行なうことになりました。全国のお寺にも多大な影響を及ぼしている新型コロナウイルス。完全収束の望みは薄く、Withコロナが新しいスタンダードとなるであろうこれからの世界において、日本の伝統的寺院はどのように運営されるのが望ましいのか?未来の住職塾NEXTの松本紹圭 塾長と木村共宏 講師による対談を全4回に渡ってお届けします。(本対談はZOOMを使いリモートにて実施いたしました) ※ 第1回はコチラ

日本人の脆弱性

木村 宗教の話へいくまえに思い出したので一つだけ。日本人が置かれている状況は、欧米諸国とは少し違うみたいなんですよね。つまり、日本のサラリーマンの多くはサラリー収入がなくなるとすぐに生活が破綻してしまう、という話ですけど、主要先進国の家計収入を並べて見ると、日本のサラリー比率が突出して高い。

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木村 これ、1983〜1990年ぐらいのデータでちょっと古いんですけど、収入に占めるサラリー(賃金)の割合が日本は94.0%、アメリカ70.8%、イギリス62.3%、ドイツ58.1%と書いてあって、要は家賃収入だったり運用益だったり、他の欧米諸国では副収入が少なからずある。でも日本人の収入は94%サラリーに頼っているから、これが無くなると途端に干からびてしまう。

欧米各国は、サラリーの比重が60〜70%くらいなので、逆にそれ以外の収入源が30〜40%もあるわけです。つまり仕事が無くなってもまだ3,4割は収入があるから切り詰めれば多少の期間は休めるというか。最近の数字を知りたいところですけど、個人の生活のレジリエンス(註:外的な衝撃にも折れることなく、立ち直ることのできる「しなやかな強さ」のこと)が欧米各国はもともと高いと言えそう。

日本人は基本的に真面目な国民性だし、国としても一応平和に整然と運営されてきたので、だんだん最適化が進んで、その分みんな労働に専念することができてきたのだと思う。平常時には効率がいいし、それもあって戦後の高度経済成長も実現したんでしょうけど。

でもそれはあくまで平常時の話であって、こういう危機下においてはこのあたりの収入ポートフォリオの違いが、やっぱり現代の日本人の脆弱性を示してると言えるのではないかと思います。

パンデミックが長引いて、これでは生活できない、倒産する、という声が大きくなってくると、これはおおっぴらに言うと怒られそうだけど、おそらく結局のところは自分で自己防衛しなきゃいけないのではないか。するとさっき言ったような一次産業とか、要は米の確保、食糧の確保、そういったところに進むのかな、と思ったのが一つ。

平時の危機意識

木村 もともと僕は昔から、まあ20年ぐらいになるかな、ずっと言っていたのが「平時の危機意識」という言葉で、これは自分で作った言葉ですけど、それを自分に課してきた。平和な時にこそ、何かが起きた時にどうするか、を考える。だから今回もそんなに慌てずにいろいろ分析できています。ただ、これまでは個人レベルでやってきた備えを、もっと組織レベルとか集団レベルでやらなければいけない段階に来たと思うし、そういう時代にしなければならないと思いますね。

自分は地域おこしのお手伝いをしてきた田舎に古民家を貰っていて、そこで野菜を作れるようしているんですけど、都会型と田舎型のハイブリッドな生活を確立することでレジリエンスを高めておけると、こういった危機においてもあまり動じないでいられるようになる。これがサラリーオンリーだと、収入がなくなってくると途端に生活が困窮して不安でいっぱいになる。僕はもし今の仕事がなくなったら、とりあえず鯖江(福井県鯖江市)の田舎にこもって、野菜作って引っこ抜きながら暮らしたらいいかなと思っています。

こういった話をみんなと共有しながら、もっとやっていこうという流れになるといいと思うんですよね。パンデミックって、遡ってSARS、MERSとかも考えると、これからは10年ごとに起きてもおかしくないと思うから。

感染症の拡大に関しては、僕は船や潜水艦と同じかなと思っていて、さっきの話とも繋がるけど、効率を突き詰めすぎたがために、本当に必要なものも取り払っちゃった感じがします。船とか潜水艦は効率を突き詰めると、とにかく船体の中に仕切りがない方がいいわけで。広くなって動きやすいし。でも、それだといざ浸水してしまった時、仕切りがなくて閉められないと沈没してしまう。だから、浸水箇所を広げないよう、浸水時にはバッとドアやハッチを閉めて沈没を免れるように設計する必要がある。

そう考えた時に、やっぱり国境や県境の往来を自由にして流動性を高くするのは、平和・平時の時であって、こうした危機の際には閉めなくてはならないんですよね、パタパタパターンと。浸水して船が沈没しちゃうから。だから、どっちにでも行けるように準備しておく必要があって。平時は往来自由で、危機のときはすぐ閉める。昔の日本は、そうやっていたみたいですね。

お寺の役割

木村 では、宗教の役割という話になった時にどうするかと言うと、これは宗教というかお寺の話になりますけど、僕が個人的にやってきた半自給半自足とか、都市型と田舎型のハイブリッド生活の実現をお寺やお坊さんが主導してみんなに機会を提供する形とか、そういう方向に導いていくことができれば、Withパンデミックな時代において非常に頼りになる存在になるのかな、という気はします。お寺は本来そうことをしやすいのでは、というのはおぼろげに思うところですね。

松本 お寺として自給自足の農業までできているところは少なくても、檀家さんから現物でお米や野菜をお供えいただくことが多いため、お寺の家族の家計に占める食費の割合は低目かもしれません。お米、生まれてから買ったことない、という住職もいたりしますから。お寺はレジリエンスを意識してきたわけではなくても、自然とお金で回る経済から距離をとってきた側面はあるかなと思います。

木村 そうですよね。これからは一般の人もお金で回る経済の比率を下げなきゃいけないんですよね。欧米のように、現金収入に占めるサラリーの比率を下げるのも大事ですし、さらには、現金以外の現物の収入を増やすことも重要です。危機の時はお金で買うものは全部高くなるし、都会ではお金で買う以外に入手する方法がないから、不安もあって買いだめしちゃって物もなくなる。とにかく生活の糧を手に入れる手段がお金による交換だけ、というのは、危機の時に人をすごく脆弱にしてしまいます。

僕は「収入」にはもともと現金と現物の二つがあると思ってます。その意味ではお米も収入。昔は税金(年貢)もお米でしたからね。むしろお金の方があとかもしれません。日頃からその現金と現物を合わせて現金収入が7割を切るように生活を設計すれば、より安定してレジリエンスを高められると思います。

まあそのギブアンドテイク的な発想は好きではないですけど、都会の人が田舎に貢献をして、例えばなんらかの知見で役に立って、いわゆるギブをして、そうしたら田舎からお米や野菜をいただけるとか、何かの時に疎開させてもらえるとか、そういう持ちつ持たれつの関係を築けるといいんじゃないかと。そこにお寺が介在するということはあるのかな。

松本 これからのお寺を考える時に、「ポスト檀家制度時代における新しい会員制度」みたいな話が出てきているわけですが、それをもうちょっと拡張して、どんな新しいエコシステムを作るかを考える時代に入りつつあるのかもしれない。

最近はウェルビーイング、という概念が様々な分野で注目されています。日本語に訳しにくい概念ですが、持続的な幸福や充足感といったニュアンスがあり、個人的には「安養」という仏教語にも通じるものと捉えています。今後おそらく、お寺は檀信徒や地域社会の人々を中心にローカルのウェルビーイングの経済圏を作っていくような役割になっていきますね。

第3回へ続く

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